バール・ナラシンハ・クンワル
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/30 09:07 UTC 版)
バール・ナラシンハ・クンワル(Bal Narsingh Kunwar, 1783年2月2日 - 1841年12月24日)は、ネパール王国の軍人、政治家。のちにネパールの首相となったジャンガ・バハドゥル・ラナらの父にあたる。
生涯
1783年2月2日、 ラナジット・クンワルの息子として生まれた[1]。
1806年4月25日、法王ラナ・バハドゥル・シャハが弟シェール・バハドゥル・シャハに殺害されると、バール・ナラシンハは即座にシェール・バハドゥルを斬殺した[2]。これにより、彼は執政(カージー)の位を得た[3]。
1841年12月24日、バール・ナラシンハは死亡した[4]。
息子の一覧
合計で9人の息子がいた。また、彼らは1848年5月5日にラナ姓を王家から賜り、クンワルから改姓している[5]。
- バクタ・ビール・ラナ
- ジャンガ・バハドゥル・ラナ
- バム・バハドゥル・ラナ
- バドリ・ナラシンハ・ラナ
- ジャイ・バハドゥル・ラナ
- クリシュナ・バハドゥル・ラナ
- ラノッディープ・シンハ・ラナ
- ジャガット・シャムシェル・ラナ
- ディール・シャムシェル・ラナ
脚注
- ^ Lambjang and Kaski 2
- ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.511
- ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.511
- ^ Lambjang and Kaski 2
- ^ Lambjang and Kaski 2
参考文献
- 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年。
関連項目
- バール・ナラシンハ・クンワルのページへのリンク