A32
A-32
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:58 UTC 版)
初代=1967〜73年。本体カラーは黒に近いグレーで、ケースのカラーは年代によって異なっていた
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A-32
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:39 UTC 版)
コーシュキン技師は、ソ連の指導者スターリンを説得して別の試作戦車を開発する許可を得た。それはT-26 および BT戦車のいずれの後継戦車にもなりうるようなより重武装・重装甲の「万能戦車」を開発するという計画であった。コーシュキン技師は二番目の試作戦車を、32 mm の前面装甲にちなんでA-32と命名した。A-32には、45 mm 砲 M1938または76.2 mm 砲 L-10を採用し、A-20と同じV-2ディーゼルエンジンを採用した(Zaloga 1994:5)。なお、構造が複雑な割に実用性が低いクリスティー式戦車譲りのコンバーチブル・ドライブは、A-32の時点で廃止されている。 A-20とA-32は、1939年にクビンカで性能試験を受けた。試験の結果は両車とも良好で、より重装備のA-32がA-20と同等の機動性を持っている事が証明された。そして、スターリンの裁定でA-32がT-32として正式採用されることになった。
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