鯨井江つ
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鯨井 江つ(くじらい えつ、- 1992年3月30日[1])は、日本の理容師。
人物
東京府東京市神田生まれ[1]。理容業は12歳で始めた[1]。歌舞伎役者の髪結職人との間に娘久美子を儲ける[2]。その後、夫の転勤に従い、名古屋に移住した[1]。戦時中に夫とは死別し、1947年(昭和22年)に名古屋市中区大須において理容店を再開した[1]。男性用パーマ技術を開発[3]。赤外線ランプを利用した整髪技術などの開発などに努め、1950年(昭和25年)には全国利用競技会で優勝している[1]。全国理容環境衛生同業組合の講師を長く務め[1]、同名誉講師[3]。全国に教え子が3万人を数える[1]。理美容チェーン店を展開するクジライの会長[1]。1992年(平成4年)3月30日午後10時20分、腎不全により名古屋市昭和区の聖霊病院において死去[3]。81歳[3][1]。4月1日、名古屋市東区東桜の妙泉寺において葬儀が営まれ、関係者・顧客など約700人が参列した[1]。
著書
脚注
参考文献
- 青柳清子 著「鯨井久美子」、愛知女性史研究会 編愛知女性史研究会、2020年12月15日、22頁。
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