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髙澤忠順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 03:37 UTC 版)

髙澤 忠順(たかざわ ただより、享保17年(1732年) - 寛政11年1月7日1799年2月11日))は、加賀藩士、農政家。

人物

父・勘太夫から450石を相続。御馬廻組に列した加賀藩士(平士)。諱は菊忠(きくただ)、後に忠順。仮名は平次右衛門。号は鶴鳴。

生涯

加賀藩の財政困窮の時期に能州郡奉行、改作奉行を務める。

天明5年(1785年)、加賀藩主前田重教の財政策を批判し、翌年まで閉門に処された。

寛政4年(1792年)、再び加州郡奉行に登用されると、寛政6年(1794年)には物頭並に昇進。御作事方御用を務め、改作所に所蔵されていた農村法令を整理して『改作所旧記』(別名『高沢録』)を完成させる。

3代藩主・前田利常の改作仕法と、名君として名高い5代藩主前田綱紀による改作法体制確立の経緯を跡づけ、藩政の根本となる改作仕法の再興を説いた。

著作

  • 改作所旧記
  • 改作枢要記録
  • 鶴鳴記録
  • 老婆鮒の煮物

参考文献

  • 太田敬太郎『改作所旧記 下編』(石川県図書館協会、1939年



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