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高須治輔

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 09:45 UTC 版)

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高須治輔(治助)(たかす じすけ、安政6年11月23日1859年12月16日) - 明治42年(1909年)3月[1])は、明治期の官吏、通訳、ロシア語翻訳家。

経歴

秋田藩江戸詰め富岡英之助の次男として江戸に生まれ、明治6年(1873年)蘭医高須保の養子となる[2]。号は五湖。東京外国語学校ロシヤ語科に入るが明治13年(1880年)中退。海軍省、陸軍に務めるかたわら、ロシア語の翻訳に従事。プーシキン大尉の娘』を明治24年(1891年)『花心蝶思録』として翻訳、ロシア文学翻訳のさきがけとなった[3]

編著

  • 『露和袖珍会話』編 愛国館 1891
  • 『露和袖珍字彙』編 丸善 1896
  • 『速成日露会話独習』高須治輔 (五湖) 前川文栄閣 1905
  • 『満洲西比利亜地理唱歌』小山本元子曲 共益商社 1905

翻訳

  • プシキン『花心蝶思録 露国奇聞』高須治助訳 法木書屋 1883
  • ジュールス・ヴェルネー地底旅行 拍案驚奇』三木愛華 (貞一),高須治助訳 九春堂 1885
  • テレンチエフ『中央亜細亜露英関係論』鳳文館 1885
  • マホチーヌイ『馬術警策』九春堂 1885
  • ワシリチコフ『独米英仏教育比較摘要』九春堂 1887
  • ボブロフスキイ『初等教育学』金港堂 1890
  • 『初等鉱物学』学令館 1891
  • ペローフ『露国教育法』普及舎 1891
  • 『真宗略解及本願寺殿堂の紀事』林虎之助 1899

脚注

  1. ^ 『人物物故大年表』
  2. ^ 高須保墓地
  3. ^ 加藤百合『明治期露西亜文学翻訳論攷』東洋書店 2012



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