高橋和之 (登山家)とは? わかりやすく解説

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高橋和之 (登山家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/25 12:48 UTC 版)

高橋 和之(たかはし かずゆき、1943年1月26日 - )は、東京都中野区出身の登山家。登山用品店「カモシカスポーツ」創業者。愛称は「ダンプ」。

略歴

カモシカスポーツ山の店・松本店(長野県松本市和田
  • 家庭の経済的事情が安定しなかった為、中学を卒業するとすぐに就職した。
  • 大家の娘の一言で登山に目覚め、労山に身を投じる。その経験から「初心者にも親切な登山用品店」を目指し、「カモシカスポーツ」を創業[1]
  • 1971年、グランドジョラス山頂で今井通子と結婚。
  • 1971年、グランドジョラス北壁登頂。
  • 1975年、カモシカ同人ダウラギリIV峰遠征で隊長をつとめる。
    「医師として同行した妻との夫婦喧嘩を隊員に目撃され、バツの悪い思いをした」という。
  • 1981年、「カモシカスポーツ」より卸部門を独立、「ヘリテイジ」を開業。
  • 1983年、ヒマラヤ・ローツェ日本人初登頂。同年、冬のエベレストに夫婦でダブルアタックを試み話題になった(中国側から挑戦した妻は失敗)。
  • 1985年、パミール高原・コルジェネフスカヤ峰(7105m)、コミュニズム峰(7495m)、レーニン峰(7134m)に日本人初の三座連続登頂を果たす。
  • 1987年、チョ・オユーに遠征、山頂からパラグライダーで下山(当時、高所より飛行の世界記録樹立)。妻の通子も登頂に成功。
  • 1988年アイガー山頂、1989キリマンジャロ山頂よりパラグライダー飛行。同年、福岡県皿倉山で行われた第一回日本選手権において三位となる。
  • 1991年、南極大陸ビンソン・マシフより飛行。

著書

  • 『登山用具の研究:選び方・買い方・使い方の全知識』(ユニ出版,1979年)
  • 『ダンプさんのエベレスト日記』(朝日新聞社,1985年)ISBN 4-02-255326-X
  • 高橋和之、今井通子著 『ヒマラヤを翔ぶ:チョー・オユー8201m』(朝日新聞社,1988年)ISBN 4-02-255861-X
  • 高橋和之編 『パラグライダー:入門とガイド』(山と渓谷社,1990年)ISBN 4-635-15009-7
  • 『ダンプ、山を行く:ある山男の自画像』(山と溪谷社,1998年)ISBN 4-635-17116-7
  • 今井通子、高橋和之著 『ダンプ&通子の夫婦でゆったり登山術』(小学館,2000年)ISBN 4-09-411361-4

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ [1]

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