高橋まきとは? わかりやすく解説

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高橋まき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 03:33 UTC 版)

高橋まき(たかはし まき、1968年12月14日 - )は、上方寄席囃子三味線奏者。兵庫県神崎郡香寺町(現・姫路市)出身。

来歴

姫路市内で兵庫銀行の銀行員をしている時、「九雀寄席」という落語会(1988年~現在も継続中)を見に行ったのがきっかけで、桂九雀と知り合い、その縁で1992年12月、寄席三味線のかつら枝代桂枝雀夫人)に弟子入り。

当初は銀行員との兼業であったが、1996年、九雀と(有)落語工房を立ち上げると同時に銀行を退職。(有)落語工房社長として桂九雀のマネージメントをしながら、自身も寄席囃子奏者として活動。

1999年に九雀と結婚。二男をもうける。

2012年、寄席囃子に専念するため、(有)落語工房の活動を停止(2013年に清算)。その後、米朝事務所扱いの様々な落語会で寄席囃子を勤めていたが、いったん一線を退いた。今は再び、活動をしている。上方落語協会には所属していないので、天満天神繁昌亭昼席、神戸新開地喜楽館昼席で演奏することはない。

桂九雀主宰の噺劇(はなしげき)では、旗揚げから下座を勤めていたが、最近は演奏は後輩に委ね、音楽部長として、下座のプランをたてる立場のことも多くなった。

本名は室屋真喜。旧姓の高橋真喜で仕事をしていたが「真喜」という漢字を正しく書いて貰えることが少なく、ひらがなに改名し「高橋まき」で仕事をしている。

2015年3月1日、初の弟子・岡野鏡(きょう)が入門したが、現在は、岡野鏡は九雀門下となり、技術指導だけを、高橋まきが行う、という形式になった[1]。 2018年、当時、小学2年生の澤部春里(しゅり)に指導を始め、今は澤部春里との二挺で演奏することもある。

出典

「上方落語家名鑑」出版文化社

脚注

  1. ^ #20 寄席 三味線奏者 岡野 鏡”. 人生デザイン U-29. NHK (2017年10月31日). 2019年8月22日閲覧。 “今年の春、大事件が・・・。お囃子の師匠から師弟関係を解消されてしまったのだ。”



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