願行寺 (刈谷市)とは? わかりやすく解説

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願行寺 (刈谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/08 09:41 UTC 版)

願行寺
所在地 愛知県刈谷市半城土町乙本郷81
位置 北緯34度59分0.1秒 東経137度01分22.7秒 / 北緯34.983361度 東経137.022972度 / 34.983361; 137.022972座標: 北緯34度59分0.1秒 東経137度01分22.7秒 / 北緯34.983361度 東経137.022972度 / 34.983361; 137.022972
山号 江北山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 宝徳年間(1449年~1451年)
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願行寺(がんぎょうじ)は、愛知県刈谷市半城土町乙本郷81にある浄土宗寺院。山号は江北山。本尊は阿弥陀如来。「重原陣屋の正門」が刈谷市指定文化財。

歴史

宝徳年間(1449年~1451年)に創建された。

江戸時代の当初は刈谷藩領だったが、寛政2年(1790年)に起こった一揆の処分として、寛政4年(1792年)には半城土村や野田村などが福島藩領となり、碧海郡重原村に重原陣屋が置かれた。

明治維新期の廃藩置県後には重原陣屋が廃止され、陣屋門が半城土村に払い下げられると、1874年(明治7年)に願行寺に移築されて山門となった[1]

境内

  • 本堂
  • 山門(重原陣屋の正門) - 福島藩(後に重原藩)が設置した重原陣屋の陣屋門を移築。
  • 鐘楼
    • 梵鐘「平和の鐘」 - 1999年(平成11年)には「平和の鐘」と呼ばれる梵鐘が鋳造され、依佐美送信所のアース線に用いられていた銅線なども鋳造に用いられている[2][3]

文化財

重原陣屋の正門

市指定文化財

  • 重原陣屋の正門(建造物) - 桟瓦葺、脇戸付薬医門[4]。柱は松材であり、門扉は欅材である[4]。鬼瓦には福島藩主である板倉家の替紋である左三つ巴が見られる[4]。1958年(昭和33年)2月25日指定[5]

所在地

所在地
アクセス

脚注

  1. ^ 『定本・西三河の城』刊行会『定本・西三河の城』郷土出版社、1991年、p.168
  2. ^ 姿を変えて残る依佐美送信所 依佐美送信所
  3. ^ 受難の像 日本共産党刈谷市議団
  4. ^ a b c 近藤薫『近畿城門』近藤薫、1985年、p.159
  5. ^ 文化財一覧表(市指定) 刈谷市

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