顔協とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 顔協の意味・解説 

顔協

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/12 15:11 UTC 版)

顔 協(がん きょう、498年 - 539年)は、南朝梁官僚文人顔勰とも書かれる。は子和。本貫琅邪郡臨沂県。玄祖父は顔綝(顔邵の伯父)。高祖父は顔靖之。曾祖父は顔騰之。祖父は顔炳之。父は顔見遠。

経歴

南朝斉の治書侍御史の顔見遠の子として生まれた。幼くして父を失い、母方のおじである謝暕に養育された。若くして器の大きいことで知られた。群書を広く渉猟し、草書隷書を得意とした。湘東王蕭繹に仕えて、湘東王常侍を初任とし、さらに府記室を兼ねた。普通7年(526年)、蕭繹が荊州刺史となると、顔協は正式に記室となった。ときに蕭繹の部下に顧協がおり、顔協と同じ名で、才能と学問では同等だったため、王府の中では「二協」と称された。おじの謝暕が死去すると、顔協は養育の恩を偲んで、伯叔の礼で喪に服した。大同5年(539年)、死去した。享年は42。蕭繹は顔協の死を惜しんで、「懐旧詩」を作って悼んだ。

顔協の編著に『晋仙伝』5篇と『日月災異図』2巻があったが、火災のために失われた。

子女

伝記資料

  • 梁書』巻50 列伝第44
  • 南史』巻72 列伝第62



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「顔協」の関連用語

1
10% |||||

2
6% |||||

3
4% |||||

4
4% |||||

顔協のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



顔協のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの顔協 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS