青木 孝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 青木 孝の意味・解説 

青木孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/11 14:30 UTC 版)

青木孝

青木 孝(あおき たかし、1863年12月21日(文久3年11月11日[1][2])- 1939年昭和14年)3月24日[3][4])は、明治から昭和前期の漁業家・政治家衆議院議員

経歴

下野国塩谷郡道下村(栃木県[3]塩谷郡玉生村[4]大字道下[5]、塩谷村を経て現塩谷町大字道下)で、古木六右衛門の三男として生まれる[2]。1877年(明治10年)に上京し[2][5]慶應義塾同人社商法講習所などで学び[2][5]、1884年(明治17年)に渡米した[2][5]。その後、ヨーロッパに渡り英語フランス語スペイン語を修め[2][5]、1889年(明治22年)米国のパシピック大学に入学し[2][5]、1892年(明治25年)11月、同校を卒業し経済学士の学位を得て[2][3][4][5]、1893年(明治26年)3月に帰国した[2][5]

北海道漁業調査に従事し[3][4]、青木漁猟組を設立して遠洋漁業を営んだ[2][3][4][5]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(栃木県郡部、立憲政友会)で当選し[2][6]、衆議院議員に1期在任した[3][4]

国政選挙歴

脚注

  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第十七回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1902年、10頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 初版』908頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』10頁。
  4. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』7頁。
  5. ^ a b c d e f g h i 『新選代議士列伝』113頁。
  6. ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』13頁。

参考文献

  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  青木 孝のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青木 孝」の関連用語

青木 孝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青木 孝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青木孝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS