青い珊瑚礁 (1949年の映画)
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| 青い珊瑚礁 | |
|---|---|
| The Blue Lagoon | |
| 監督 | フランク・ローンダー |
| 脚本 | ジョン・ベインズ マイケル・ホーガン フランク・ローンダー |
| 原作 | ヘンリー・ドヴィア・スタックプール 『The Blue Lagoon』 |
| 製作 | シドニー・ギリアット フランク・ローンダー |
| 出演者 | ジーン・シモンズ ドナルド・ヒューストン ノエル・パーセル |
| 音楽 | クリフトン・パーカー |
| 撮影 | ジェフリー・アンスワース |
| 編集 | セルマ・コネル |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 | 101分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 英語 |
『青い珊瑚礁』(あおいさんごしょう、原題:The Blue Lagoon)は1949年に公開されたイギリスの恋愛映画。
1980年にはブルック・シールズの主演でリメイクされて、全世界で大ヒットした。
概要
ヘンリー・ドヴィア・スタックプールによる小説『The Blue Lagoon』を原作に、ディック・クルックシャンクスが監督した1923年のサイレント映画『青い珊瑚礁』の再映画化作品。フランク・ローンダーが監督し、ジーン・シモンズとドナルド・ヒューストンが主演した。
ストーリー
1841年、航海中の大型船に乗っている8歳のマイケルと7歳のエメリンは、機関室から煙が出ていることに気付いて、老船員のパディに報せに行く。たちまち火事は広がり、船長の呼びかけで家族連れや他の乗組員は救命ボートで脱出する。マイケルとエメリンは、ペットのオウムを入れた鳥かごを取りに戻っている間に、船内で起きた爆発により船室に取り残されてしまう。パディは一艘だけ残っていた小型ボートに子供たちを乗せて船を脱出する。海上は煙が立ち込めて何も見えず、パディは先に出発したはずの救命ボートを呼ぶために叫ぶが、応答はなかった。ボートで夜明かしをしたパディらは、翌朝見知らぬ島に漂着し、漂流者が住んでいた形跡のある小屋を浜辺で見つける。近くの洞窟を調べると、小屋の住人らしき人間の遺骨があった。壊れていた小屋を修理して、3人は島で生活を始める。
樽に残っていた酒を飲んで泥酔したパディは、人骨が動き出す幻覚を見て怯え、崖から転落して死亡する。マイケルとエメリンはパディの遺体を水葬し、大好きだったパディのために歌を唄って弔った。2人で身を寄せ合って生き抜き、10年の歳月が過ぎてマイケルは18歳、エメリンは17歳に成長した。
洗濯をしていたエメリンは、島に上陸してきた2人の男性マードックとジェームスを見て驚き、マイケルに伝えに走る。彼らは船で逃亡中の犯罪者だったが、そんなことを知らないマイケルたちは歓迎し、故郷のイギリスへ連れて行って欲しいと頼む。エメリンが髪飾りにつけている真珠に目をつけたマードックは、船に乗せる条件に、真珠を集めることを要求した。翌朝から真珠貝集めを始めるマイケルは、海中で足がつってしまい、疲れも重なってもう止めたいと言う。マードックは拳銃でマイケルを脅して真珠をもっと集めるよう命じ、マイケルは海に飛び込んで逃げる。すでに数個ほど集まっていた真珠を盗んだジェームスは、エメリンを連れて逃亡しようとするが、それに気づいたマードックと殺し合いになり、両者は死亡した。悪党の船から泳いで島に帰ったエメリンと、彼女の身を案じていたマイケルは、互いに2度と離れないことを誓って浜辺で愛し合い、翌日2人で結婚式をあげる。
島を暴風雨が襲った日、姿が見えないエメリンを探してマイケルが洞窟へ入って行くと、彼女はそこで子供を産んでいた。2人は赤ん坊に、心優しかった恩人のパディと同じ名を与えて育てる。パディが歩ける歳になると、エメリンは子供の将来のためにも文明社会へ帰りたいと願うようになった。彼女の意を汲んだマイケルは帆を張ったボートに食料と水を積み、3人で島を離れる。何日間もオールを漕ぎ続け、水と食料は尽きてマイケルの体力も落ちて行った。やがて大海を通りかかったイギリス船の船長が、帆がボロボロの小舟を望遠鏡で発見し、救助するよう乗組員に命じる。そのボートには、目を閉じて身動きしない2人の若者と、泣き声をあげる赤ん坊が乗っていた。
キャスト
| 役名 | 俳優 | 日本語吹替 | |
|---|---|---|---|
| テレビ版1 | テレビ版2 | ||
| エメリン・フォスター | ジーン・シモンズ | 阪口美奈子 | 武藤礼子 |
| マイケル・レイノルズ | ドナルド・ヒューストン | 中尾彬 | 朝戸正明 |
| エメリン(幼少期) | スーザン・ストランクス | 降旗文子 | |
| マイケル(幼少期) | ピーター・ルドルフ・ジョーンズ | 木下清 | |
| パディー・ボタン | ノエル・パーセル | 宮口精二 | |
| マードック | ジェームス・ハイター | 笠間雪雄 | |
| ジェームス・カーター | シリル・キューザック | ||
スタッフ
- 監督 - フランク・ローンダー[4]
- 製作 - シドニー・ギリアット[4]、フランク・ローンダー[4]
- 脚本 - ジョン・ベインズ[4]、マイケル・ホーガン[4]、フランク・ローンダー[4]
- 撮影 - ジェフリー・アンスワース[4]
- 編集 - セルマ・コネル[4]
- 音楽 - クリフトン・パーカー[4]
- 衣装デザイン - エリザベス・ヘニングス[5]
- 美術デザイン - エドワード・キャリック[5]
- 助監督 - パーシ・ヘルメス[5]
製作
イギリスの映画プロデューサー ハーバート・ウィルコックスは、1923年に公開されたモノクロの無声映画『青い珊瑚礁』をテクニカラーのトーキー映画で再映画化しようと考えた。イギリスの映画製作会社ブリティッシュ・ドミニオン・フィルムが、原作小説の映画化権を購入して製作予定であることが1929年7月のオーストラリア版デイリー・ニュースで報じられた[6]。この企画は世界恐慌のために一時中断した後、1935年に設立された映画会社ジェネラル・フィルム・ディストリビューターズ(通称GFD)で再始動した[7][8]。
ところが1936年2月にブリティッシュ・ドミニオン・フィルムで発生した火災事故により、ウィルコックスが買い集めて同社に保管していた希少な1923年版『青い珊瑚礁』のプリントが総て焼失。失意のウィルコックスは映画への情熱を急速に失い、原作小説を賞賛していた映画監督フランク・ローンダーの推薦で、GFDの姉妹会社である映画スタジオ ゲインズバラ・ピクチャーズに再映画化の権利が引き継がれた[9]。ゲインズバラ・ピクチャーズは資金を調達するために20世紀フォックスとの共同製作を考え、主演はフォックスの意向でリチャード・グリーンとマーガレット・ロックウッドが内定していたが[10]、第二次世界大戦のために製作は延期された[11]。
第二次大戦終戦後の1946年に企画が再開し、10年前にウィルコックスがこの映画への興味を失くした時、権利の引継ぎのために熱心に動いたフランク・ローンダーが監督に就任した。シドニー版ザ・サン紙では、この映画のプロデューサーを務めるシドニー・ギリアットがフィジー諸島で6週間のテクニカラー撮影のテストをした上で、ロケ地はフィジーが理想的だと考え、主演のイギリス人俳優と約20人のオーストラリア人エキストラ、そして撮影用機材をシドニーからフィジーへ小型船舶で輸送すると報道した。シドニーは物資と機材の拠点に使っていた。また、この時の報道で、映画の75%ほどはフィジーのヤサワ諸島でロケを敢行し、残り25%はイギリスのスタジオで撮影すると書かれている[12]。
企画が再始動した1946年、アメリカ映画配給協会MPAAの検閲官ジョセフ・ブリーンは、ヘイズ・コード(大手スタジオによる、ほとんどの映画に適用される自己検閲のガイドライン)に則って、原作からいくつかの要素を変更をすれば『青い珊瑚礁』の映画化は可能だと製作会社に伝えた。ヌードや扇情的な描写の禁止、性行為と出産シーンがあってはならないことなどだ[13]。ブルック・シールズの主演で1980年にリメイク版を監督したランダル・クレイザーは、この1949年版に関して「当時(1940年代)は映画業界の規制で性的なものが描けなかったため、原作に登場しない、銃で子供を脅して真珠を集めさせる悪人を出すことで、冒険物の要素が強めの映画にしていた」と語っている[14]。
キャスティング
主人公エメリン役はクレア・ブルーム、マリリン・モンローやダイアナ・ドースがオーディションを受けたが落選し[15]、最終的にはデヴィッド・リーン監督の『大いなる遺産』(1946年)で注目を浴びた、ジーン・シモンズが抜擢された。シモンズはこの映画の主役が決まった当時17歳だった[16]。1947年11月27日、シモンズはイギリスの町プールから水上飛行機に搭乗し、ロケ地フィジーに向かう船に乗るためシドニーへと出発した[17]。
1947年12月のオーストラリア版サンデー・タイムズによると、5008人の主役候補者の少年の中から100人に絞り込んで面接をした結果、プロデューサー兼監督のローンダーは泳ぎが得意だという23歳のドナルド・ヒューストンに決めたと報じられている。ローンダは「ブルーラグーンで育った青年なら独創性があるはずだ。彼はジーン・シモンズに匹敵する独創性を感じる」と、サンデー・タイムズにコメントしている[18]。マイケル役のオーディションは、ローレンス・ハーヴェイやロジャー・ムーアのほかに、当時10代だった劇作家のジョン・オズボーンも受けていた[15]。
撮影
撮影は困難の連続でスタッフは毎朝5時に出発し、島はあまりにも強い日差しのために決して雨に濡れることもなかった。とはいえ、熱帯の豪雨でびしょ濡れにならないまでも、撮影用ボートで海上を進む時や、水中で作業する際は常に水で濡れっぱなしの毎日であった。映画初主演となるドナルド・ヒューストンも、毎日1時間かけて撮影用メイクをしていたという。岩礁や、珊瑚が密集する海辺での撮影はスタッフの生傷が絶えず、現地の少年たちの熱心なアドバイスが不可欠だった[19]。
これらの他にも蚊に刺されての感染症、感染症を媒介するサシチョウバエ、撮影隊を襲ったスズメバチ、焼け付くような日差しによる日焼け、珊瑚礁での切り傷、島に生息する蛇などスタッフの健康を脅かす数多くの危険があり、連日、灼熱の太陽の下で演出していた監督のローンダーは「画面上では地上の楽園のように映っていたものが、現実では全く違っていた」と語った。島に到着したばかりの頃には激しいハリケーンが海上で発生し、好機とばかりに撮影班がカメラを回したことで、この映画ではテクニカラーで初めて本物の南洋ハリケーンを映し出した。しかし猛烈な熱帯低気圧が島を襲って雨が降り続いたことで、1948年2月に撮影が一時中断し、3月に再開された。ジーン・シモンズが同乗していたヒューストンの車が、運転中にスリップして横転した事故を除けばフィジーのロケ班に大きな負傷はなく、2ヵ月にわたる島のロケで映画に必要な目標の90%を撮り終えて、撮影隊はフィジー発の飛行機で帰途についた[20][21][22][23]。残りの部分はイギリスのパインウッド・スタジオで撮影され、1948年ロンドンオリンピックでテクニカラー用カメラを使う必要から一時中断の影響を受けたが、9月に撮影終了した[24]。
評価
映画業界誌『ハリソンズ・レポート』は賛否両論ともいえるレビューを掲載した。「映画前半では2人の主人公は無知な子供として描かれている。世間知らずな2人を利用しようとする悪徳商人の策略が織り込まれて、ある程度のスリルと興奮を誘うが、映画の大部分はゆったりとしたテンポで進む。多くのイギリス映画と同様に、本作もまた難題を抱えた作品だ」と同誌は結論付けている[25]。
『タイム』誌は、南洋のロマンスを謳っているこの映画は、北欧の物語のように冗長で退屈だと書いた。同誌はさらに「若いカップルのぎこちなさを埋めるため、脚本家は彼らに数々の危機を設ける。そして遅まきながらのセックスを発見するが、ジーン・シモンズのような才能ある若手女優に性交と出産の要素はふさわしくない」と否定的に評した[26]。
アメリカの日刊紙『モーションピクチャー・デイリー』の評論家ハンデル・ハーヴストマンは「多くのイギリス映画が限られた観客にしか好まれないのに対し、『青い珊瑚礁』は冒険、ロマンスなどあらゆるシチュエーションで観る者を楽しませる」と、好意的なレビューを載せた。ハーヴストマンは「無人島の漂流生活という寓話に加え、サスペンスと暴力の積み重ねで劇的な力を生み出している。男性主人公のヒューストンは魅力的で、シモンズも優雅さと純真さを持ってヒロインを演じている」と書いた[27]。
『イブニング・スター』のジェイ・カーモディは“夏の思い出に欠かせないロマンティックな牧歌映画『青い珊瑚礁』がやってきた”という見出しで、必見の作品だと誉めた。「南太平洋の島で迷子になった少年少女の物語は、映画の素材としては乏しく一本調子に思えるかもしれない。だが『青い珊瑚礁』はそうではなく、驚くほど劇中の出来事も感情も豊かだ。ユーモアのアクセントもある。フィジー諸島で撮影された美しいこの映画は、誰もが望む、上品で優しい、心地良い作品です」と、カーモディは絶賛を送っている[28]。
『ニューズウィーク』は2人の子供と年老いた船員がボートで島に辿りつくシーンのリアルさと、大人になったカップルの純真な成長ぶりの楽しさを挙げながらも、子供だけで成長して行く過程で映画が新鮮さと信憑性の両方を失っている点と、2人がお互いの性の違いに気づくまで時間がかかり過ぎるなど、プロットが不自然だと指摘した。その上で「無人島での成長を余儀なくされた2人の苦悩を率直に描き、楽しい熱帯の現実逃避の魅力は損なっていない」と結んだ[29]。
『シドニー・サンデー・ヘラルド』 紙は、「誰もが10代の頃に読んだスタックプールの小説が、流暢かつロマンティックなエンターティンメントとして視覚化された」と好意的に評価しつつ、興行的な成功に近づいているが、独創性からは遠ざかっていると指摘した。それでも撮影の美しさと、2人の主演俳優には満足したと締め括った[30]。
出典
- ^ "Jean Simmons Goes Native", cover story, Illustrated magazine 15 January 1949
- ^ “DELAY IN FILMING OF "BLUE LAGOON"”. Tweed Daily (New South Wales, Australia) XXXV (#41): p. 6. (1948年2月17日) 2017年10月10日閲覧。
- ^ “劇映画「青いサンゴ礁」―イギリス映画―”. NHKクロニクル. 2022年2月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “青い珊瑚礁(1948)”. allcinema. 2025年10月25日閲覧。
- ^ a b c “The Blue Lagoon Full cast & crew”. IMDb. 2025年10月25日閲覧。
- ^ “NEW SOUND FILMS”. Daily News (1929年7月27日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “BRITISH FILMS”. The West Australian (1935年10月9日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “HERBERT WILCOX'S PROGRAMME”. The West Australian (1936年4月17日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “The West Australian”. The West Australian (1948年11月1日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “Here's Hot News From All Studios!”. The Australian Women's Weekly (1939年2月4日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “New Plays From English Studios”. The Mercury (1939年10月14日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “Films”. The Mercury (1947年4月24日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “Banned in the USA': British films in the United States and their censorship, 1933-1960”. Anthony Slide (1998). 2025年10月25日閲覧。
- ^ 『青い珊瑚礁』DVDオーディオ・コメンタリーより
- ^ a b “The Blue Lagoon Trivia”. IMDb. 2025年10月25日閲覧。
- ^ “…and from London”. The Mail (1947年1月4日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “Jean's Goodbye to Granger”. The Daily Telegraph (Sydney) (1947年11月30日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “FILM FLASH CABLE”. The Sunday Times (Western Australia) (1947年12月21日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “Blue Lagoon days were fascinating”. The Daily Telegraph (Sydney) (1948年3月21日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “Blue Lagoon days were fascinating”. The Australian Women's Weekly (1949年5月14日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “FACTS ABOUT FILMS”. The Daily Mirror (Sydney) (1950年3月23日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “DELAY IN FILMING OF "BLUE LAGOON"”. The Tweed Daily (1948年2月17日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “Film unit in Fiji”. The West Australian (1948年3月16日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “Color Film of Big Sports”. The West Australian (1948年7月31日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “"The Blue Lagoon" with an all-British cast”. Harrison's Reports (1949年7月30日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “The Blue Lagoon”. タイム (1949年9月26日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “"The Blue Lagoon" Reviews”. Harrison's Reports (1949年7月30日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “"Blue Lagoon" Gives Keith's Summer's Romantic Idyll”. イブニング・スター (1949年8月18日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “The Blue Lagoon”. ニューズウィーク (1949年8月15日). 2025年10月25日閲覧。
- ^ “Reviews of New Films in Sydney”. The Sun-Herald (1950年3月26日). 2025年10月25日閲覧。
外部リンク
- 青い珊瑚礁_(1949年の映画)のページへのリンク