雑話筆記(享保15年(1730年)) の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 22:30 UTC 版)
「善鬼」の記事における「雑話筆記(享保15年(1730年)) の記述」の解説
一刀斎の剣術の奥義を修めた者は神子神典膳と善鬼という山伏の二人であった。ある時一刀斎は両者に真剣による勝負を命じ、勝った者に唯受一人の奥義を授けると言った。善鬼と典膳は濃州桔梗ヶ原に出て、互いに一刀斎から伝授された秘術を尽くして火花を散らして戦った。やがて善鬼は息が切れ、側にあった大きな瓶の陰で息をつこうとしたが、典膳が瓶ごしに振り下ろした太刀を受け、瓶ごと真っ二つになり絶命した。それ以来典膳は一刀斎の唯授一人の奥義を伝授され代々その技を伝えた。善鬼を斬った備前一文字の太刀は瓶割刀と名付けられ、今も小野次郎衛門忠一の家にあるという。
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