隷書の正体への昇格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:24 UTC 版)
7代・武帝のとき、当時の通行書体であった隷書が篆書に代わって正体となった。これは武帝が董仲舒の進言を受けて儒教を国教としたことに起因する。儒教の経書は伏生の言を鼂錯らが隷書で書写したもので、漢代においては古文に対して隷書を今文と呼んでいたことからこれらの経書は今文経と呼ばれ、今文経による学問を今文学と総称した。儒教を国教とした際、今文学が官学となり、これにともなって隷書が正体となったのである。
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