陶鶴寿丸とは? わかりやすく解説

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陶鶴寿丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/08 15:26 UTC 版)

 
陶 鶴寿丸
時代 戦国時代
生誕 天文20年(1551年
死没 弘治3年4月3日1557年5月1日
主君 大内義長
氏族 多々良姓大内氏陶氏
父母 父:陶晴賢、または陶長房
兄弟 長房?、貞明?、鶴寿丸
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陶 鶴寿丸(すえ つるじゅまる)は、戦国時代の人物。

生涯

天文20年(1551年)に生まれる。厳島の戦いで討ち死した陶晴賢(隆房)の末子とも、その嫡男・長房の長男ともいわれている(年齢的に考えれば、晴賢の息子である可能性が高い)。

その後、鶴寿丸は、大内義長に近侍していが、弘治3年(1557年)の防長経略で、長房は富田若山城でに攻められ討ち死(長穂村龍文寺に逃げ、そこで自害したという説もある)した。

義長も攻められて長門国長福院(功山寺)で自害した際、そばにいた幼児である彼も義長に殉死した。享年7。これにより陶氏は断絶となった。鶴寿丸を殺害したのは陶氏の忠臣・野上房忠であるが、房忠も鶴寿丸殺害後に自害している。

陶氏の嫡流は完全に途絶えたが、傍流の陶隆満宇野元弘は毛利家臣となっている。




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