陳伯仁とは? わかりやすく解説

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陳伯仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/25 02:38 UTC 版)

陳伯仁(ちん はくじん、? - 589年頃)は、南朝陳皇族。廬陵王。文帝陳蒨の八男。は寿之。

経歴

陳蒨と王充華の間の子として生まれた。天嘉6年(565年)8月、廬陵王に封じられた。太建元年(569年)、軽車将軍の位を受け、佐史を置いた。太建7年(575年)、冠軍将軍の位を受けた。太建8年(576年)11月、中領軍となった。太建10年(578年)1月、平北将軍・南徐州刺史に任じられた。太建12年(580年)3月、翊左将軍・中領軍となった。太建14年(582年)1月、安前将軍の位を受けた。

至徳年間、安東将軍・呉興郡太守をつとめた。禎明元年(587年)、侍中・国子祭酒を加えられ、太子中庶子を兼ねた。

禎明3年(589年)、陳が滅亡すると関中に入り、長安で死去した。長男の陳番は、湘浜侯に封じられ、大業年間に資陽県令となった。

伝記資料

  • 陳書』巻28 列伝第22
  • 南史』巻65 列伝第55



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