間中進之とは? わかりやすく解説

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間中進之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 06:48 UTC 版)

間中進之
まなか しんし
生年月日 1852年3月3日[注釈 1]
出生地 日本 武蔵国葛飾郡惣新田村
(現・埼玉県幸手市
没年月日 (1890-09-05) 1890年9月5日(38歳没)
選挙区 埼玉県第3区
当選回数 1回
在任期間 1890年7月1日 - 1890年9月5日
在任期間 1880年 - 1890年3月
埼玉県会議員
在任期間 1879年 - 1880年
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間中 進之(まなか しんし、1852年3月3日嘉永5年2月13日[1][2][注釈 1]〉 - 1890年明治23年〉9月5日[1][4])は、日本の政治家衆議院議員

経歴

武蔵国葛飾郡惣新田村(のち埼玉県北葛飾郡吉田村、現幸手市)で生まれる[1][2]。漢学を学んだ[1][2][3]

1874年(明治7年)、22歳で学区取締となる[1][2]1879年(明治12年)、埼玉県会議員に選ばれ、立案委員、組合監事などを務めた[2]1880年(明治13年)、議員を辞職して南埼玉郡長に就任[1][2][3][4]。1890年3月に郡長を辞任した[5]

同年7月、第1回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から出馬して当選したが、2ヵ月後に死去した[1][2][3]

脚注

注釈

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』580頁では「嘉永元年3月」[3]

出典

  1. ^ a b c d e f g 『埼玉人物事典』754頁。
  2. ^ a b c d e f g 埼玉県議会史 6巻 543コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』580頁。
  4. ^ a b 『明治過去帳』304頁。
  5. ^ 埼玉県南埼玉郡勢一斑 大正4年 9コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。



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