長谷川守知とは? わかりやすく解説

長谷川守知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/17 11:06 UTC 版)

長谷川 守知(はせがわ もりとも)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名。父は茶人としても知られる長谷川宗仁[4]


注釈

  1. ^ 寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)記載の没年・享年(64)からの逆算。享年69との説(後述)をとれば永禄7年(1564年)生まれとなる。
  2. ^ 『大坂城誌』では、福原長堯(右馬助)・蒔田広定(権佐)・別所吉治(豊後守)・長谷川守知(式部少輔)・宮城頼久(宮木右京亮)・中江直澄(式部少輔)の6人を列挙する。なお『太閤記』では長谷川守知を「長谷川式部大輔」と記している[5]
  3. ^ 『古今武家盛衰記』によれば、父の宗仁は本能寺の変の情報をいち早く豊臣秀吉に伝えた功績により、山崎の戦い後に1万石の領地を与えられており、宗仁の死後に守知が継承して関ヶ原の合戦を経てこれを安堵されたとするが[8]、宗仁の死は慶長11年(1606年)であり、関ヶ原の合戦時には存命している[4]
  4. ^ たとえば清田黙『徳川加封録・徳川除封録』(1891年)では長谷川守知の領地を越前国で1万石とし、寛永9年(1632年)に除封としている[10]。『国史大事典』(1908年)では、長谷川守知が関ヶ原直前の時点で越前国内1万石の大名であったとする[11]。ただし近年の書籍では、守知を越前国の大名とする説を採用しておらず、たとえば『角川新版日本史辞典』「豊臣大名表」では、長谷川守知を大名として掲出しない[12]。また『福井県史』も県域内の大名として記さない[13][14]
  5. ^ 長谷川守知を越前の大名とする『国史大事典』(1908年)の表には長谷川秀一の記載がない。
  6. ^ 『寛政譜』の岡野融成の記事によれば、守知は「豊臣秀頼の使」であったという[16]
  7. ^ 『石田軍記』では、佐和山落城のきっかけとなった内通者を「長谷川右衛門」とし、「三成の侍」と記す[18]。「長谷川宇兵衛」と記されることもある[19]
  8. ^ 『角川新版日本史辞典』「近世大名配置表」では元和3年(1617年)に新封とする[22]
  9. ^ 『寛政譜』には「太田郡」とあるが、朱印状の村名によれば島下郡であると編者の注釈がある。「太田郡」は戦国期から江戸初期の寛文年間まで用いられた郡名で、太田村(現在の大阪府茨木市太田付近)を本拠とした太田氏が自己の所領について私称したものという[23]
  10. ^ グレゴリオ暦換算では1633年1月6日になる。

出典

  1. ^ a b 長谷川守知”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2023年6月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 『寛政重修諸家譜』巻第八百三十「長谷川」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.343
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『断家譜 第1巻』, p. 82.
  4. ^ a b 長谷川宗仁”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2023年6月14日閲覧。
  5. ^ 古事類苑 官位部十五”. 神宮司庁 (1905年). 2023年6月17日閲覧。
  6. ^ 小野清 (1899年). “大坂城誌 : 一名・浪華誌 下”. p. 590. 2023年6月15日閲覧。
  7. ^ a b 佐賀県 2023, p. 6.
  8. ^ 黒川真道 編 (1914年). “古今武家盛衰記 1 (国史叢書)”. p. 463. 2023年6月15日閲覧。
  9. ^ 『大阪府全志 巻之3』, p. 981.
  10. ^ 清田黙 (1891年). “徳川加封録・徳川除封録”. 鴎夢吟社. p. 巻2之39. 2023年6月15日閲覧。
  11. ^ 八代国治・早川純三郎・井野辺茂雄 (1908年). “国史大事典”. 吉川弘文館. p. 1648. 2023年6月15日閲覧。
  12. ^ a b 『角川新版日本史辞典』, p. 1268.
  13. ^ 第一章>第三節>一 越前・若狭の大名配置>賎ケ嶽の戦い後”. 『福井県史』通史編3 近世一. 2023年6月17日閲覧。
  14. ^ 第一章>第三節>一 越前・若狭の大名配置>慶長五年九月”. 『福井県史』通史編3 近世一. 2023年6月17日閲覧。
  15. ^ 第一章>第三節>一 越前・若狭の大名配置>長谷川氏領の消滅”. 『福井県史』通史編3 近世一. 2023年6月17日閲覧。
  16. ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第五百八「岡野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.704、『新訂寛政重修諸家譜 8』p.317。
  17. ^ 斎木一馬・林亮勝『寛永諸家系図伝 6』、p.90。
  18. ^ 石田軍記・仙道軍記 (国史叢書)”. p. 269 (1914年). 2023年6月16日閲覧。
  19. ^ 『埋蔵文化財活用ブックレット5 〈近江の城郭1〉佐和山城跡』滋賀県教育委員会、2010年、22, 26頁https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2042770.pdf2023年6月16日閲覧 
  20. ^ 仕寄”. 精選版 日本国語大辞典. 2023年6月15日閲覧。
  21. ^ a b c 『大猷院殿御実紀』巻廿一・寛永九年十一月廿六日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第二編』p.269
  22. ^ 『角川新版日本史辞典』, p. 1311.
  23. ^ 太田郡(中世~近世)”. 角川地名大辞典. 2023年6月14日閲覧。
  24. ^ 『大阪府全志 巻之3』, p. 977.
  25. ^ a b 『断家譜 第1巻』, pp. 82–83.
  26. ^ a b 『名古屋市史 人物編第一』 1934, p. 230.
  27. ^ 『名古屋市史 人物編第一』 1934, p. 229.
  28. ^ a b 『名古屋市史 人物編第一』 1934, p. 231.
  29. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第千百八十五「川勝」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第七輯』p.184
  30. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第千百八十五「川勝」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第七輯』p.185
  31. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第九百三十九「蒔田」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.942
  32. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第九百三十九「蒔田」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』pp.945-946


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