命長ければ恥多し
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/09 21:27 UTC 版)
「命長ければ恥多し」(いのちながければはじおおし)は、「長生きをすると、恥辱となることも多くなる」という意味の故事成語[1][2]。「長生きすれば恥多し」などともいい[1]、四字熟語の形で「寿則多辱」ともいう[2]。
長生きをすることは、必ずしもめでたいことでもない[3]、年寄りは恥をかかねいよう努めるべし、といった意味で説明されることもあるが、原典である『荘子』で語られるエピソードは、そのように長寿を軽視する見方を、小賢しい浅はかな考えだとしている[1]。
『荘子』の記述
原典とされているのは、『荘子』天地篇に伝えられた、中国神話上の人物で五帝のひとりである堯の、即位前のエピソードである[4]。
堯觀乎華,華封人曰:「嘻,聖人!請祝聖人,使聖人壽!」堯曰:「辭。」「使聖人富!」堯曰:「辭。」「使聖人多男子!」堯曰:「辭。」封人曰:「壽、富、多男子,人之所欲也。汝獨不欲,何邪?」堯曰:「多男子則多懼,富則多事,壽則多辱。是三者,非所以養德也,故辭。」封人曰:「始也我以汝爲聖人邪,今然君子也。天生萬民,必授之職。多男子而授之職,則何懼之有!富而使人分之,則何事之有!夫聖人,鶉居而鷇食,鳥行而无彰;天下有道,則與物皆昌;天下无道,則脩德就閒;千歲厭世,去而上僊;乘彼白雲,至于帝鄉;三患莫至,身常无殃,則何辱之有!」封人去之。堯隨之,曰:「請問。」封人曰:「退已!」
(大意)
堯が華に出かけたとき、華の役人が言った。「嬉しい、聖人だ。聖人を祝福させてください。聖人が長生きしますように」。堯は「断る」と応じた。「聖人が富に恵まれますように」と言うと、堯は「断る」と応じた。「聖人に男子が多く生まれますように」にも、「断る」と応じた。役人は「長寿、富、多くの男子は、人が欲することなのに、なぜですか」と言うのに対し、堯は「男子が多いと心配も多く、富があれば多事になり、長生きすると辱めも多い。この三者は徳を養うものではないので、断る」と答えた。役人は「はじめ、私はあなたを聖人だと思ったのですが、今伺うと君子ですね。世に生まれる万民には、必ず天職が与えられます。男子が多くても、職は得られますから、心配はいりません。富は人々に分けて使えば、何ということもありません。聖人は鶉のように居場所を定めず、ひな鳥のよう食べ、飛び回って足跡を残しません。天下に道があれば、すなわち皆うまくゆき、天下に道が無ければ、自分を弁えて静かに過ごし、千年経ってこの生が嫌になったら、世を去って天高く上り、白雲に乗って帝の世界に行きます。三つの憂いもなく、自分の身に害悪が無いなら、何の辱めがあるでしょうか」と言って去ろうとした。堯は後を追い、「伺いたいことがあります」と言ったが、役人は「もう帰れ」と言った。
『徒然草』の記述
兼好法師は『徒然草』第七段に「命長ければ恥おほし」ないし「命長ければ辱おほし」と記し、長くても40歳くらいで死ぬのを目安とすべきだと述べ、長生きを必ずしもよいものと考えていなかった[5]。こう記した頃、兼好は既に40代後半であったと考えられ、その後、70歳を超えるまで生きた。
脚注
「長生きすれば恥多し」の例文・使い方・用例・文例
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