那波氏の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 14:29 UTC 版)
那波郡に先に入ったのは藤原秀郷の子孫の那波氏である。藤原秀郷の子孫で佐貫成綱の子・季弘を祖とする。保元の乱には那波太郎季弘が源義朝軍に参加した(『伊勢崎市史』[要文献特定詳細情報])。しかし元暦元年(1184年)那波弘澄(広純)が源義仲にくみして戦死し、一族は衰亡してしまった。 藤姓の那波氏に代わって那波郡を領したのが大江氏系の那波氏である。大江広元の子、大江政広(那波宗元)を祖とする。『系図纂要』では、藤姓那波氏の那波弘純の子・宗澄に子がなかったため、政広は弘澄の娘婿となって那波氏を称したとする。
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