リンチェン・タシーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > リンチェン・タシーの意味・解説 

リンチェン・タシー

(輦真吃剌失思 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/03 14:40 UTC 版)

リンチェン・タシー(Rin chen bkra shis、生没年不詳)は、チベット仏教サキャ派仏教僧大元ウルスにおける10代目の帝師を務めた。

漢文史料の『元史』では輦真乞剌失思(niǎnzhēn qǐlàshīsī)と表記される。

概要

『元史』によると天暦2年(1329年)12月に帝師に任命され[1]、チベットから朝廷に至ったとされる[2]。しかし、釈老伝はこの人物の帝師就任を最後として歴代帝師についての記述を終えており、どのような事績があったかはほとんど記録がない。『元史』巻33文宗本紀にはリンチェン・タシーが帝師に就任した月の末に「故帝師の舎利をその国に還した」との記述があり[3]、稲葉正就はこの「故帝師」がリンチェン・タシーであって、就任の直後に死去したのではないかと推測している[4]

チベット語史料側には同名の人物は見られないが、tucci教授は『フゥラン・テプテル』に見える「リンチェンタク国師」なる人物こそが「輦真乞剌失思」と同一人物ではないかと推測している[5]。『フゥラン・テプテル』は第2章「シナ・チベットの歴史」の元になった文書を「宋祁(Su khyi)というものが著わし、後に范祖禹(Han gsi hus)が蒐めて編纂し、シナのロツァワ・バフゥギャンジュ(Ba hu gyan ju)が乙酉の年に臨洮(Çin kun)において翻訳し、ラマ・リンチェンタク国師(Rin chen grags gu çrhi)が乙丑の年にチベット文字で印刷に付したものである」としており、リンチェンタクは宋祁が編纂した『新唐書』吐蕃伝のチベット語訳を出版したことで知られているようである[6]。上述の「乙丑年」は1325年を指す可能性が高いことも、輦真乞剌失思=Rin chen grags説を裏付けている[7]

脚注

  1. ^ 『元史』巻202列伝89釈老伝,「天暦二年、以輦真乞剌失思嗣」
  2. ^ 『元史』巻33文宗本紀2,「[天暦二年]十二月甲申……以西僧輦真乞剌失思為帝師」
  3. ^ 『元史』巻33文宗本紀2,「[天暦二年十二月]己亥、遣使駅致故帝師舎利還其国、給以金五百両・銀二千五百両・鈔千五百錠・幣五千匹」
  4. ^ 稲葉1965,144頁
  5. ^ 稲葉1965,145頁
  6. ^ 佐藤/稲葉1964,11-13頁
  7. ^ 稲葉1965,145頁

参考文献

先代
クンガ・レクペー・ジュンネー・ギェンツェン・パルサンポ
大元ウルス帝師
1329年 - 1332年
次代
クンガ・ギェンツェン・パルサンポ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  リンチェン・タシーのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リンチェン・タシー」の関連用語

リンチェン・タシーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リンチェン・タシーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリンチェン・タシー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS