軽井沢町追分宿郷土館とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 軽井沢町追分宿郷土館の意味・解説 

軽井沢町追分宿郷土館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 14:30 UTC 版)

軽井沢町追分宿郷土館
追分郷土館
施設情報
正式名称 追分宿郷土館[1]
事業主体 軽井沢町
管理運営 軽井沢町教育委員会
延床面積 722 m²[2]
開館 1985年7月15日[3]
所在地 389-0115
長野県北佐久郡軽井沢町大字追分1155番地8
位置 北緯36度20分29.3秒 東経138度32分51.1秒 / 北緯36.341472度 東経138.547528度 / 36.341472; 138.547528座標: 北緯36度20分29.3秒 東経138度32分51.1秒 / 北緯36.341472度 東経138.547528度 / 36.341472; 138.547528
アクセス しなの鉄道 信濃追分駅
外部リンク 追分宿郷土館
プロジェクト:GLAM
テンプレートを表示

軽井沢町追分宿郷土館(かるいざわまちおいわけじゅくきょうどかん)は長野県北佐久郡軽井沢町にある博物館。

概要

1979年(昭和54年)3月に「軽井沢町歴史民俗資料館建設特別委員会」が設置され、同年12月には「追分宿保存調査研究委員会」が発足、1985年(昭和60年)に博物館法に準拠した施設として現行の施設として開館した。中山道追分宿を中心とした歴史、民俗、文学資料の調査収集を展示している。町指定文化財の『大般若経』550巻や、追分節に関する資料を中心に、図書室では追分宿に関する研究書物、ゆかりの文学書など約2,700冊を収蔵し、閲覧が可能となっている。常設展示では、旅籠の一部を縮小して復元し、古代から中世の「追分のあけぼの」から、近現代の「新しい追分」までを年代を追って紹介している。町出身の書家、稲垣黄鶴の書なども展示されている。

脚注

  1. ^ 軽井沢町博物館・類似施設に関する条例”. 軽井沢町例規集. 2021年1月8日閲覧。
  2. ^ 長野県教育委員会, p. 29.
  3. ^ 長野県, p. 29.

参考文献

  • 長野県教育委員会 編『長野県の博物館』長野県教育委員会、1989年3月。全国書誌番号:90000086 
  • 長野県博物館協議会事務局 編『長野県ミュージアムガイド』長野県の博物館・美術館の情報発信事業実行委員会、2017年3月。全国書誌番号:22896243 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  軽井沢町追分宿郷土館のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

軽井沢町追分宿郷土館のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



軽井沢町追分宿郷土館のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの軽井沢町追分宿郷土館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS