足立さやか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/28 04:43 UTC 版)
足立さやか (あだち さやか、?年10月27日[1] - ) は埼玉県出身のコ・ドライバー。
経歴
中学で陸上部に所属していた足立は寛骨臼裂離骨折を負い、リハビリを経て回復する[2]。しかし、高校2年の時に再度同じ骨折を負い、このとき、同じリハビリスタッフと出会ったことから理学療法士を目指す[2]。
大学卒業後、就職した病院でラリーをしている医師に出会いラリーに興味を持つ[2]。その後、病院に勤めながらラリーに参戦する[2][3]。そのためラリー会場では第二赤十字病院による献血のブースを展開したり、救命救急講習の講師を務めるなど、赤十字の広報としても活動した[4]。
2002年から2005年まではドライバーとしてラリーに参戦[5]。2010年から勝田範彦とペアを組み、全日本ラリー選手権で4年連続コ・ドライバーチャンピオンを獲得[5]。さらに26戦連続ノーリタイアを記録した[5]。またTRDラリーチャレンジでトヨタ自動車社長の豊田章男のコ・ドライバーも散発的に務めている。
2017年にはTOYOTA GAZOO Racingのラリーチャレンジプログラムに抜擢され[6]、フィンランドに拠点を移した[5][7]。2018年現在までヤルッコ・ニカラのパートナーとなり、フィンランド国内選手権を中心にコ・ドライバーとしての修行に励んでいる。またGAZOO Racing公式サイト内で『ラリー塾』というページを持ち、ラリーの内側やコ・ドライバーという仕事について広めている[5]。
2018年終了を持ってドライバー育成プログラムが、リソースを勝田貴元に集中することを決めたため帰国。
以降は継続的な選手としての活動は行っていないが、全日本ラリー唐津2020での00カー乗車など散発的にコ・ドライバーとしての活動を継続している[8]。
脚注
- ^ @toyota_gr. "本日10/27は足立さやか選手の誕生日" (ツイート). Twitterより2023年1月13日閲覧。
- ^ a b c d 足立さやか 2021, p. 23.
- ^ “理学療法士の足立さやかさん2010年ラリー選手権総合優勝!!”. PT-OT-ST.NET (2010年12月5日). 2017年10月28日閲覧。
- ^ “総合優勝コドラ足立さやかさんからのメッセージ”. 新城ラリー日記 (2010年9月30日). 2017年10月28日閲覧。
- ^ a b c d e “足立さやかラリー塾”. 2017年10月28日閲覧。
- ^ “足立さやか、フィンランドラリー選手権に参戦”. www.rallyplus.net (2017年1月12日). 2022年5月24日閲覧。
- ^ 足立さやか 2021, p. 25.
- ^ “全日本ラリー唐津:変則日程の最終ラウンド、初日トップは奴田原文雄 – RALLYPLUS.NET ラリープラス”. www.rallyplus.net. 2021年1月20日閲覧。
参考文献
- 足立さやか「Rallyと出会ってから─ Rally Japan 2021に向けて─」『自動車技術』第75巻第2号、自動車技術会、2021年、22-25頁。
関連項目
足立さやか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:16 UTC 版)
「ナビゲーター (モータースポーツ)」の記事における「足立さやか」の解説
埼玉県出身。元々は全日本に参戦するドライバーであったが、後にナビに転向した。全日本ラリー選手権王者の勝田範彦のナビを務め、2010年から4年連続王者に輝いた。現在はTOYOTA GAZOO Racingのプログラムの下欧州で修行している。時々帰国し、豊田章男や勝田貴元と組んで新城ラリーなどにも登場する。
※この「足立さやか」の解説は、「ナビゲーター (モータースポーツ)」の解説の一部です。
「足立さやか」を含む「ナビゲーター (モータースポーツ)」の記事については、「ナビゲーター (モータースポーツ)」の概要を参照ください。
- 足立さやかのページへのリンク