趙洸熙
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趙 洸熙(チョ・グァンヒ、朝鮮語: 조광희、1917年9月12日 - 2017年4月5日)は、大韓民国の土木学者、実業家、政治家。第4代韓国国会議員[1]。
本貫は豊壌趙氏。字は学汝(ハギョ、학여)、号は貫洲(クァンジュ、관주)。カトリック教徒[1]。
経歴
日本統治時代の慶尚北道尚州郡出身。ソウル大学校師範大学付属初等学校、京畿中学校、京畿高等学校、ソウル大学校農科大学を経て、1943年に京都帝国大学(現・京都大学)農学部農業土木学科を卒業。東洋拓殖株式会社勤務を経て、ソウル大学校農科大学農業土木学科教授、同大工科大学土木学科教授、農林部農地管理局技佐、農業土木技術院養成所所長、農地保存技術院養成所所長、尚州郡洛東・青里水利組合創立委員長、文教部国定教科書編纂委員・審査委員、自由党所属の第4代国会議員、高麗生命保険株式会社社長、農業振興公社社長、豊壌趙氏大宗会会長を務めた。1954年の第3代総選挙では落選したが、1958年の第4代総選挙で初当選した[1][2][3]。
2017年4月5日に死去。享年101[4]。
エピソード
自由党所属時代は党内の不正蓄財者と利権運動を指弾し、除去を主張した[2]。
韓光錫が2017年2月2日に死去したことにより、第4代議員を務めた233名のうち最後の存命者となった。[要出典]
脚注
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