越来城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 21:22 UTC 版)
![]() (沖縄県) |
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城郭構造 | 山城 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 15世紀(推定) |
主な城主 | 尚泰久王(第一尚氏) 尚宣威王(第二尚氏) |
遺構 | 掘立柱の跡 |
位置 | 北緯26度20分24.856秒 東経127度48分47.368秒 / 北緯26.34023778度 東経127.81315778度 |
越来城(ごえくじょう、琉球語: ぐいくグスク、ぐいくグシク)は、沖縄県沖縄市城前町周辺の丘陵地にあった城(グスク)。沖縄戦などで破壊され、遺跡はほとんど残されていない[1]。
越来王子
琉球王朝時代、越来城を居城とする王子は「越来王子」と称された。
琉球を統一して三山時代を終わらせた第一尚氏の尚巴志王は、越来間切を七男の尚泰久に与え、越来城に入った泰久は越来王子と称し、護佐丸の娘を正室に迎えたが、後に尚泰久王として1454年に琉球国王となり首里城に移った[2][3]。
1453年、「琉球国之図」に五欲城と記される。[4]1457年、尚泰久王が魏古城に安国寺銅鐘を寄進。[5]
第二尚氏の尚円王(在位:1469年 - 1476年)の王弟尚宣威は、兄が即位すると越来城に入り、越来王子と称した。兄王の死後、宣威は即位して尚宣威王(在位:1477年)となったものの、すぐに退位して、越来に戻って隠棲した[6]。
第二尚氏の尚真王(在位:1477年 - 1526年)の第四王子朝福も越来王子と称した。
現在
現在は、城前町の城前公園に「越来グシクの拝所」とされる場所が残されており[1]、「越来グスク跡」と記した標識が置かれている[7]。
また、城前公園の南側に位置する比謝川沿いに2008年に整備された越来城水辺公園では、夏の終わりに「越来城下まつり」が開催されている[8]。「災害を乗り越え、地域コミュニティ活動の拠点となった歴史と伝統の越来城水辺公園」で、平成24年度手づくり郷土賞受賞。
2019年、国の名勝「アマミクヌムイ」に追加指定されました。『おもろさうし』に「あまみきよが たくだるぐすく」、すなわち琉球開闢の神アマミクが作ったグスクだと越来城を讃える歌があることから、アマミクにゆかりのある琉球独自の聖地のひとつとして指定されたものです。[9]
脚注
- ^ a b “越来グシクの拝所”. 沖縄市郷土博物館 (2010年5月18日). 2014年2月15日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 義 2007, p. 70
- ^ 義 2007, pp. 72–73
- ^ “五欲城”. 15世紀の日本図・琉球図デジタルアーカイブ. 2025年7月18日閲覧。
- ^ 沖縄市. “越来グスクと周辺文化財マップ”. 沖縄市. 2025年7月18日閲覧。
- ^ 義 2007, pp. 94
- ^ “城前公園(越来グスク跡)”. Goyah.net Inc.. 2014年2月15日閲覧。
- ^ “老百男女の憩いの場。越来城水辺公園”. コザ銀天街.net (沖縄市銀天街商店街). 2014年2月15日閲覧。
- ^ “アマミクヌムイ 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2025年7月18日閲覧。
- 義富弘『しまぬゆ 1 ―1609年、奄美・琉球侵略』南方新社、2007年4月15日。
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