護国寺 (防府市)とは? わかりやすく解説

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護国寺 (防府市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 23:04 UTC 版)

護国寺
所在地 山口県防府市本橋町2-11
位置 北緯34度03分49.9秒 東経131度33分47.3秒 / 北緯34.063861度 東経131.563139度 / 34.063861; 131.563139座標: 北緯34度03分49.9秒 東経131度33分47.3秒 / 北緯34.063861度 東経131.563139度 / 34.063861; 131.563139
山号 摩尼山
宗派 曹洞宗
創建年 不詳
開基 善室存慶座元
正式名 摩尼山護国禅寺
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護国寺(ごこくじ)は、山口県防府市にある曹洞宗の寺院。種田山頭火の墓所で知られる。正式名称は、摩尼山護国禅寺。

歴史

『山口県寺院沿革史』によれば、1792年(寛永4年)に本堂庫裡が全焼して古記録等が消失したため、寺記は全く不明。創建年代は不詳ながら、開基は伊勢の人、善室存慶座元で1647年(正保4年)4月8日に亡くなったといわれているので、慶長元和寛永ごろ、つまり1596年 - 1644年ごろの創建とみられる。1740年(元文5年)までは宝積寺といったが、第三世洞水密翁の代の1742年(寛保2年)に護国寺と改めた。[1]

見どころ

  • 笠卒塔婆 - 鎌倉時代の1232年(貞永元年)に刑部氏(周防国目代だった阿部丞忠康)が中子の供養のために建立、山口県指定文化財
  • 種田山頭火像 - 寺の山門の左手にある全身像。山頭火は防府市八王子の生まれ
  • 種田山頭火の墓所 - 山頭火の実家の種田家は浄土真宗だが、山頭火が出家したのが曹洞宗。17回忌まで彼のお墓はなかったので、1956年(昭和31年)に建てられた。墓碑銘は、句友の兼崎地橙孫の揮毫。1982年(昭和57年)に市営墓地から護国寺に移された。[2]
  • 山頭火の句碑 - 「おたたも或る日は来てくれる山の秋ふかく」という句の原本を松山の句友、高橋一洵の子息が防府の山頭火研究会に寄贈、その句を句碑にしたもの。その時、住職が肉筆が入手できたら句碑にすると研究会に約束、以来、境内には句碑が13基ある。[2]
  • 草木供養塔 - 山門の右手。草木への感謝と供養のためのもの。石塔の正面には「草木供養塔」とあるが、右横には「草木塔」とあり、左横は山頭火の句碑になっている。「草木塔」は山頭火の句集のタイトル。
  • 山頭火資料室 - 本堂裏
  • 子育て地蔵尊

宝物

  • 雪舟筆 釈迦出山の絵像
  • 曾我簫伯筆 達磨大師
  • 勝海舟書一幅ほか

近在の施設

脚注

  1. ^ 護国寺(防府市本橋町)”. 周防山口館 (2020年10月8日). 2024年10月11日閲覧。
  2. ^ a b 山頭火が生まれた町 山口県防府市を旅する”. 春陽堂書店. 2024年10月11日閲覧。

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