観音寺 (恵那市)
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観音寺 | |
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所在地 | 岐阜県恵那市明智町625-1 |
位置 | 北緯35度18分34.5秒 東経137度22分58.8秒 / 北緯35.309583度 東経137.383000度座標: 北緯35度18分34.5秒 東経137度22分58.8秒 / 北緯35.309583度 東経137.383000度 |
山号 | 瀧坂山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年 | 慶長17年(1612年) |
開山 | 覚巌 |
開基 | 遠山利景 |
別称 | 滝坂観音 |
札所等 | 恵那三十三観音霊場十八番 |
文化財 | 市指定:本堂、枝垂れ桜 |
法人番号 | 6200005009465 |
観音寺(かんのんじ)は、岐阜県恵那市明智町字滝坂にある聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は滝坂山。
滝坂観音と通称される。恵那三十三観音霊場十八番。
歴史
当初は、明知村の阿弥陀ヶ入に草庵を建立し、旗本・明知遠山氏初代の遠山利景が崇敬していた萬勝寺で祀られていた木造の聖観世音菩薩坐像を勧請したと伝わる。
その後、明知城の西の滝坂村を霊地として選び、慶長17年(1612年)、龍護寺一世の覚巌により開山された。
遠山利景が没した後は、位牌所の一つとなった。
厨子に入った木造の聖観世音菩薩坐像と不動明王像は、遠山利景が出陣中に守護仏として数多の戦いに同伴した由緒があり、「明知年譜」には、「至って古仏」と記されている。
宝暦8年(1758年)に恵那三十三観音霊場が創設されると十番札所となったが、その後、恵那三十三観音霊場が改組されるにあたって十八番札所となった。
文化13年(1816年)の「明知村明細書上帳」には、以下の文言が記されている。
瀧坂山観音寺、本堂 聖観音 三間三尺 三間二尺 萱葺 脇堂 三拾三所観音 二間 三尺四方
本堂は創建以来のもので、恵那市の文化財に指定されている。
本尊の滝坂観音は中風封じ、癌封じの霊験があるとして信仰されている。
境内
たより弘法堂、滝清水観音、西国三十三所観音堂[1]、十一面観音、無縁仏合祀供養壇、諸観音石仏群、寛政9年(1797年)の供養碑などがある。
西国三十三所観音は、宝暦10年(1760年)に福岡市右衛門・西尾輿兵衛・山田彦太郎・小木曾治兵衛らの講中によって勧請されたものである。
明治28年(1895年)、日清戦争後に「征清記念碑」が建立され、明知町、野志村、杉平村、東方村の4町村合同の講和祝宴が開かれ、余興に学生の旗取、投球、餅投、花火、芝居が催された。
また境内のシダレザクラは恵那市の天然記念物に指定されている。
墓地
観音寺の裏山には、上下2段の墓地がある。舟形の墓碑もあるが、何れも風化が進み苔むして判読が困難である。僅かに元禄と判読できる墓碑もある。
参考文献
- 『明智町誌』 第二章 宗教 第二節 寺院 その他の禅宗寺院 p377 明智町 1960年
- 『明知御陣屋 乾 (旗本明知遠山氏年譜)』 滝坂観音寺 p.217 熊谷博幸 2009年
- 『恵那郡史』 第八篇 現代 第四十一章 人文の発展(一) 【各宗寺院】 p612 - p619 恵那郡教育会 1926年
脚注
- ^ 弘法大師が合祀されているため通称は弘法堂と呼ばれている
「観音寺 (恵那市)」の例文・使い方・用例・文例
- 観音寺市という市
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