見川城とは? わかりやすく解説

見川城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 02:58 UTC 版)

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見川城
茨城県
一郭空堀
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 箕川長幹
築城年 11世紀
主な改修者 春秋幹光
主な城主 箕川氏、春秋氏、佐竹氏
廃城年 慶長7年(1602年
遺構 空堀、土塁
指定文化財 なし
位置 北緯36度22分4.6秒 東経140度26分36.74秒 / 北緯36.367944度 東経140.4435389度 / 36.367944; 140.4435389
地図
見川城
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見川城(みがわじょう)は、茨城県水戸市見川にあった日本の城

概要

鎌倉時代初期、水戸城を築城した馬場資朝の四男長幹により築かれた。後に河和田城城主春秋氏の一族が拠り、水戸城の支城として維持された。

小田原征伐後、江戸氏佐竹氏に滅ぼされた後も、水戸城の支城として引き続き使用されたものと考えられている。

構造

桜川低地に面する台地端に占地し、東南端に一郭、一郭の西に二郭三郭が南北に配されている。現在この三郭のみが残るが、周囲には外城、深柵、表坪等の、城郭由来と考えられる地名が残っており、城域は更に外側に拡がっていたものと考えられている。

一郭には東を除く三方に折れを伴う土塁が巡り、特に西端の土塁は高く築かれている。また、四方を深い空堀が囲み、西北に枡形を伴う虎口が開く。二郭および三郭には低い土塁が巡り、三郭西方に開く虎口前面には空堀が、虎口南方の土塁は櫓台状になっている。台地端には一郭と二郭を取り囲む横堀が設けられ、一郭周辺では前述の空堀と合わせて二重堀となっている。

遺構

遊歩道により空堀の一部が破壊されているが、一郭から三郭までの土塁および空堀が良く残る。

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