行者寺とは? わかりやすく解説

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行者寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/25 13:15 UTC 版)

行者寺
石碑
所在地 愛知県春日井市宮町字宮町135
位置 北緯35度15分11.5秒 東経136度56分26.3秒 / 北緯35.253194度 東経136.940639度 / 35.253194; 136.940639座標: 北緯35度15分11.5秒 東経136度56分26.3秒 / 北緯35.253194度 東経136.940639度 / 35.253194; 136.940639
山号 大峯山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 行者大菩薩
創建年 安永5年(1776年)
開山 玉芳恵光
正式名 大峯山行者寺
法人番号 6180005008073
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行者寺(ぎょうじゃじ)は、愛知県春日井市宮町にある臨済宗妙心寺派寺院である。山号は大峯山。

歴史

行者寺の開山は玉芳恵光で、創建は安永5年(1776年)11日である。行者堂の明細書によると安永(1772年 - 1780年)から天明の間にかけて大峯山(大和国吉野郡)に祈願参拝する人が多く、宮町の名倉藤蔵は天明6年(1786年)正月御本尊役の行者神の「変大菩薩」を、行者堂を建て、奉安した[1][2][3][4]

現在の堂は、文政11年(1828年)に新しく建築したものである[5]。鬼瓦に刈谷で焼成された旨の刻印がある。行者堂は明治初年前後に臨済宗瑞応寺(名古屋市北区如意)の末寺に属して臨済宗瑞応寺となった。昭和26年(1951年)4月3日に法律126条をもって宗教法人法が公布され、行者堂を改めて行者寺とし、妙心寺直属となる。本堂は大正3年(1914年)と昭和53年(1978年)に修理されている。本堂は昭和51年(1976年)5月春日井市の有形文化財に指定された[1][6][4]

境内

境内には桜の大木が多く、桜堂と呼ばれていた[4]

  • 行者堂[7]
  • 天明四申辰年五月五日の石地蔵[1]
  • 寛政十二年申極月吉日の常夜燈[1]
  • 文政三庚八月吉日の常夜燈[1]
  • 文政五年十一月の観音石像[1]
  • 天保五年の観音石像[1]
  • 西行堂得芝の句碑[6]
  • 如意輪観音の道しるべ[6]
22 m
4
3
2
1
略地図
1
行者堂
2
手水舎
3
如意輪観音
4
地蔵堂

年中行事

  • 涅槃会[8]
  • 秋葉三尺坊まつり[8]
  • 秋葉講参り[8]
  • 弘法御影供[8]
  • 灌仏会[8]
  • お天王さま[8]
  • 神変まつり[8]
  • お施餓鬼[8]
  • 四万六千日[8]
  • 秋葉火まつり[8]
  • お米集め[8]

市文化財

アクセス

脚注

参考文献

  • 春日井郷土史研究会『春日井の散歩道 歴史をしのびロマンに出会う』知書之屋本舗、2003年10月。ISBN 4990154428 
  • 春日井市教育委員会『春日井の寺院』春日井市教育委員会、1981年3月。全国書誌番号: 81045926 
  • 春日井市史編集委員会 編『春日井市史』 地区誌編3、春日井市、1986年3月。全国書誌番号: 87013279 
  • 行者寺を守る会『大峯山 行者寺』1983年。 
  • 東春日井郡役所 編『東春日井郡誌』東春日井郡役所、1923年。doi:10.11501/978680全国書誌番号: 43043039 



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