蔡文徳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 11:40 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動蔡文徳(チェ・ムンドク、-2000)は、朝鮮労働党組織指導部の副部長、朝鮮民主主義人民共和国社会安全省の政治局長。
経歴
1996年、金正日の意を受けた張成沢の配下として、大規模粛清事件として知られる深化組事件の実行者となった[注釈 1]。蔡は、張成沢の政敵であった文聖述(ムン・ソンスル)党組織指導部第一部長、中央党本部党書記をなぶり殺しにした[1]。文聖述は下剤を飲まされた上で3日間、一滴の水も与えられない拷問を受け、その結果、留置場の壁に頭を打ち付けて自殺したといわれる[2]。
しかし、蔡は組織指導部の反撃に遭い、2000年に処刑された[1]。上層部は「深化組」を解体する方針を決め、責任を免れた張成沢が蔡文徳や李哲ら14人を逮捕し、「反革命的野心家」として銃殺刑とすることで幕引きを図ったのである[3][注釈 2]。
脚注
注釈
- ^ 深化組事件については、対南工作に当たる朝鮮労働党統一戦線部の元幹部で、実際にこの大粛清を現地で見聞した張哲賢が、脱北後、韓国の月刊誌にその全容を暴露している。
- ^ 党員向け資料によると、金正日は講習会を指導する幹部に対し「蔡文徳は功名に目がくらみ、若い社会安全員らを駆り立て、ウェノム(日本人の蔑称)より悪辣な方法で幹部らを拷問する蛮行を働いた」と説明したのであった[3]。
出典
- ^ a b “金正恩委員長、父世代を総交代…先軍→先党に重心移動”. 中央日報(日本語版) (2017年11月22日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ “「下剤を飲ませ水を一滴も与えず政敵を抹殺」北朝鮮の権力闘争”. yahooニュース (2018年12月18日). 2021年10月5日閲覧。
- ^ a b “秘録 金正日(60) 黄長ヨプ亡命の衝撃 デモにおびえ、摘発責任者を処刑”. 産経新聞 (2016年1月26日). 2021年10月5日閲覧。
関連項目
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