菊田義孝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 菊田義孝の意味・解説 

菊田義孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 08:21 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

菊田 義孝(きくた よしたか、1916年大正5年)3月21日 - 2002年平成14年)7月21日)は、日本の詩人・文芸評論家。「群系」創刊同人。

仙台市生まれ。1937年昭和12年)明治大学文藝科卒。太宰治と親しく交わる。戦後、紫書房、大蔵財務協会に勤務。1960年(昭和35年)よりフリーの編集者。かたわら文芸評論を書いた。「群系」創刊同人。[1] 息子・菊田求(1949-1975)も詩や小説を書いたが、学生運動のさなか自死した。遺稿集に『反逆と愛のはざまで ある学生の孤独な遺書』(光風社出版 1979年5月)がある。

著書

  • 『太宰治と罪の問題』修道社 1961
  • 『太宰治と罪の問題』審美社 1964
  • 『私の太宰治』大光社 1967
  • 『終末の予見者太宰治』審美社 1972
  • 『神の罠』審美社 1974
  • 『太宰治の弱さの気品』旺国社 1976
  • 『人間脱出 太宰治論』弥生書房 1979
  • 遠藤周作論 かれは、なにを書かなかったか』永田書房 1987
  • 『魂の略歴 詩集』てんとうふ社 1993

脚注

  1. ^ 菊田義孝年譜 - 「群系」18号(2005年12月刊行)収載より 『群系』 (文芸誌) ホームページ、2019年6月4日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「菊田義孝」の関連用語

菊田義孝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



菊田義孝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの菊田義孝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS