菅谷勝貞とは? わかりやすく解説

菅谷勝貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/27 09:54 UTC 版)

菅谷 勝貞(すげのや かつさだ、明応2年(1493年) - 天正3年9月2日1575年10月5日[1])は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将小田氏の家臣。通称は摂津守。父は菅谷範宗、母は菅谷隠岐守の娘。子に菅谷政貞

生涯

常陸国戦国大名・小田氏の重臣として仕えた。

智勇兼備の武将で、永正13年(1516年)に若泉五郎左衛門の土浦城を攻め取り、のちに病死した信太範貞に代わってそこの城主となった。

また、利根川小貝川水系の水運にも大きな影響力を持ち、永正16年(1519年)には古河公方足利高基の要請を受けて上総国足利義明とそれを支援する真里谷氏を討伐するために船を貸し出して自らも従軍している。その後も上杉謙信佐竹氏と戦って、終生、小田氏を支えたという。

天正3年(1575年)、死去。

脚注

  1. 寛政重修諸家譜』巻第六百五十




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