菅谷勝貞
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菅谷 勝貞(すげのや かつさだ、明応2年(1493年) - 天正3年9月2日(1575年10月5日)[1])は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。小田氏の家臣。通称は摂津守。父は菅谷範宗、母は菅谷隠岐守の娘。子に菅谷政貞。
生涯
智勇兼備の武将で、永正13年(1516年)に若泉五郎左衛門の土浦城を攻め取り、のちに病死した信太範貞に代わってそこの城主となった。
また、利根川・小貝川水系の水運にも大きな影響力を持ち、永正16年(1519年)には古河公方・足利高基の要請を受けて上総国の足利義明とそれを支援する真里谷氏を討伐するために船を貸し出して自らも従軍している。その後も上杉謙信や佐竹氏と戦って、終生、小田氏を支えたという。
天正3年(1575年)、死去。
脚注
固有名詞の分類
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