至徳寺館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 20:13 UTC 版)
「至徳寺」という字名から至徳年間に上杉憲将の菩提を弔うために開かれた至徳寺跡とされてきたが、昭和50年代から調査が行われ、その規模や出土品などから越後国衙・守護所とみるのが有力となっている。「伝至徳寺」などとも呼ばれる。関川河口付近の流通の要所に位置し、付近に港津があったと推定される。
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