系統別総当たり第1期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 06:25 UTC 版)
「系統別総当たり制」の記事における「系統別総当たり第1期」の解説
1932年1月の春秋園事件の結果、幕内・十両力士の大多数が脱退したために、幕内でも総当たり制を採用することとなった。しかし、次の部屋同士の対戦はなかった。 出羽海・春日野・山分 高砂・若松・富士ヶ根・大山 粂川・二所ノ関・二子山(のち中村も加わる) 小野川・陣幕 そのために、系統別という形になっていた。 十両以下の取組も、東西制第1期とほとんど同じである。しかし、出羽海部屋から独立した武隈部屋は、破門という形になったので、かつての兄弟弟子同士も本場所で対戦することになった。
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