筑紫茂門
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筑紫 茂門(つくし しげかど、寛永7年(1630年)[1] - 宝永6年12月7日(1710年1月6日))は江戸時代初期から中期の旗本。筑紫氏の当主。諱は茂門。幼名は三平、通称は左京、左太夫を称す。父は筑紫信門、母は米沢藩重臣の千坂高信(安芸)の女。正室は柴田勝興(三左衛門)の娘。子に筑紫利門(右近)・近山安道(近山安高の養子)・細井勝里(細井勝長の養子)・柴田勝陳(柴田勝顕の養子)・娘(市橋長房の妻)・娘(根来長安の妻)・娘(川口宗分の妻、死別後に松平信言の妻)、孫に筑紫従門がいる。小姓組番士や目付などを勤める。米沢藩江戸家老の千坂高房の従兄弟でもある。
- ^ 寛政重修諸家譜記載の享年からの逆算
- 1 筑紫茂門とは
- 2 筑紫茂門の概要
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