第84回箱根駅伝でリタイア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/13 23:57 UTC 版)
「只隈伸也」の記事における「第84回箱根駅伝でリタイア」の解説
2007年12月10日に行われた第84回箱根駅伝の記者発表会にて「シード落ちを4回連続しているが、上位を目指して頑張りたい」と発言したが、第84回箱根駅伝最終日(2008年1月3日)、大東大9区の走者で3年生の住田直紀が脱水症状に陥り、只隈伸也が途中併走し体調を訊ねたが、鶴見中継所手前1.5 km付近で棄権し史上初の3校棄権となった。これに「悔しさは自分たちで晴らす」とコメントした。
※この「第84回箱根駅伝でリタイア」の解説は、「只隈伸也」の解説の一部です。
「第84回箱根駅伝でリタイア」を含む「只隈伸也」の記事については、「只隈伸也」の概要を参照ください。
- 第84回箱根駅伝でリタイアのページへのリンク