第345歩兵師団 (ベトナム陸軍)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 第345歩兵師団 (ベトナム陸軍)の意味・解説 

第345歩兵師団 (ベトナム陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 07:14 UTC 版)

第345歩兵師団
創設 1977年4月
再編成 1978年9月
所属政体  ベトナム
所属組織 ベトナム人民軍
部隊編制単位 師団
兵科 歩兵
兵種/任務/特性 歩兵
編成地 黄連山省柑塘
愛称 高山師団
柑塘師団
上級単位 総経済建設局-第2軍-第6軍-第29軍
主な戦歴 中越戦争
テンプレートを表示

第345歩兵師団Sư đoàn 345 bộ binh)は、ベトナム人民軍陸軍)の師団の1つ。元は後方警備担当の生産師団であり、他部隊に比し練度が低く、中越戦争時に一時壊滅した。

歴史

  • 1977年4月 - 黄連山省柑塘地区において、黄連山省軍事指揮部所属の第121連隊を基盤に編成。一種の生産師団であり、総経済建設局に所属した。主要任務は、柑塘-ラオカイの道路の修復と辺境の開墾、柑塘燐鉱山の警備だった。初代師団長朱光徳大佐
  • 1978年9月 - カンボジア侵攻の需要のため、歩兵師団に改編され、第2軍の指揮下に入った。この時、第118、第124歩兵連隊を補充され、第190砲兵連隊が新設された。ラオカイ方面の縦深防御を任務とした。
  • 1979年2月 - 中越戦争勃発後、黄連山省軍事指揮部第192連隊と第254連隊の作戦を支援したが、中国人民解放軍により撃滅された。解放軍の柑塘攻略後、第345師団は潰走し、残余部隊は紅河両岸に撤退した。戦後、補充を受け、紅河東岸の棟光地区に駐屯し、新編の第6軍(後に第29軍に改称)に編入された。
  • 1979年6月中旬 - ヴィンフック省軍事指揮部の第753歩兵連隊が第345師団に配属された。

中越戦争時、大損害を被り、重火器のほとんどを失った。特に第190砲兵連隊は兵員の40%が死傷し、第10大隊は全車両・火砲を失った。師団幹部の指揮能力も低く、戦線離脱の事例が見られ、師団長麻永蘭(後に第68軍司令官に昇任)の前線指揮所、第121連隊、第190連隊が波河南岸に逃亡し、戦後、軍法会議にかけられた。第121連隊長と副連隊長は部隊を離れた上に、所属部隊が潰走中に掠奪行為を働き、2個大隊の大隊長が解任された。

編制

  • 第118歩兵連隊(Trung đoàn 118 bộ binh)
  • 第121歩兵連隊(Trung đoàn 121 bộ binh)
  • 第224歩兵連隊(Trung đoàn 224 bộ binh)
  • 第190砲兵連隊(Trung đoàn 190 pháo binh)

歴代師団長




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第345歩兵師団 (ベトナム陸軍)」の関連用語

第345歩兵師団 (ベトナム陸軍)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第345歩兵師団 (ベトナム陸軍)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第345歩兵師団 (ベトナム陸軍) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS