竹内浩一とは? わかりやすく解説

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竹内浩一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/17 14:57 UTC 版)

竹内 浩一(たけうち こういち、1941年8月28日 - )は、日本の画家

人物

京都府京都市生まれ。日展審査員、晨鳥社会員。

略歴

  • 1941年:京都府京都市に長男として生まれる。父は祖父の代から続く型染友禅の職人であった。
  • 中学時代は美術部に入部する。
  • 1960年:京都市立日吉ヶ丘高等学校日本画科を卒業する。絵を描くだけでは生活が送れず、デザインスタジオに入社して糊口を凌いだ。京都産業デザイン展 市長賞を受賞。またここで中路融人と出会う。
  • 1966年:晨鳥社に入会する。山口華楊に師事する。
  • 1967年:第10回日展に「辺」を出品し、初めて入選する。
  • 1970年:第21京展に「竹の林」を出品し、毎日新聞社賞を受賞する。
  • 1971年:第6回日春展に「猫と花かご」を出品し、激励賞を受賞する。第22回京展に「椿の頃」を出品し、市長賞を受賞する。
  • 1972年:第7回日春展に「耳鳴り」を出品し、激励賞を受賞する。第23回京展に「野駆」を出品し、市長賞を受賞する。
  • 1975年:第10回日春展に「霙」を出品し、日春賞を受賞する。
  • 1977年:第4回山種美術館賞展に「猿図」を出品し、大賞を受賞する。
  • 1978年:初めて個展を実施する。京都芸術短期大学講師となる。
  • 1979年:第11回日展に「霜」を出品し、特選を受賞し、文化庁買い上げとなる。
  • 1988年:第20回日展に特選を受賞する。
  • 1991年:京都美術文化賞を受賞する。第23回日展に「さざれ」を無鑑査出品、日展審査員となる。
  • 1992年:第24回日展に「銀の淑」を無鑑査出品する。
  • 1996年:中国上海美術館で「竹内浩一展」が開催される。
  • 1997年:京都府文化奨励賞を受賞する。
  • 1998年:画集「風の暦」が刊行される。
  • 1999年:大丸京都にて「心の風と音ー竹内浩一展」が開催される。
  • 2002年:京都市立芸術大学の教授となる。
  • 2005年:「星星会」を結成する。
  • 2006年:日展評議員となる。
  • 2007年:京都市立芸術大学の教授を退任する。
  • 2010年:京都市文化功労者となる。
  • 2016年:大徳寺芳春院の襖72面を描き終える。


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