石丸一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 13:18 UTC 版)
石丸 一(いしまる はじめ、1890年 – 1990年)は、日本の画家。
経歴
現在の徳島県小松島市立江町出身[1]。父は漢方医であった[2]。徳島県立徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)を経て京都帝国大学医学部を卒業し、大阪市内で医院を開業し、さらに信濃橋洋画研究所で洋画を学んだ[3]。全関西洋画展会に1927年の第1回から1943年の第30回までほぼ毎回作品を出品した[1]。1929年の第3回展においては朝日賞を受賞した[1]。同時期に1928年から1943年までほぼ毎年二科展にも作品を出品しており、1942年には会員に推挙された[1]。1936年ベルリンオリンピックの芸術競技の絵画部門に絵画を出品した[2]。1938年の九室会の創立に参加している[2][1]。
家族
妹の島あふひも画家である[2][1]。実業家の西村勝三の娘・淑と結婚した[4]。
出典
- 石丸一のページへのリンク