眞南風按司 (蘭室)とは? わかりやすく解説

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眞南風按司 (蘭室)

(眞南風按司 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 08:41 UTC 版)

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尚豊王夫人・眞南風按司(まふぇーあじ、1590年萬暦20年) - 1658年順治15年)4月4日)は琉球王国の第二尚氏王統の国王夫人、尚豊王側室。童名は乙美金。號は蘭室。

人物概要

泊里主宗重を元祖とする呉氏大宗家(呉氏我那覇家)五世幸地親方宗廣の長女。崇禎3年(1630年)、父が三司管座敷に叙せられた翌年の1631年尚豊王夫人となった[1]。その時点で既に高齢であったためか、尚豊王との間に子供ができなかった。そのため、向氏嘉味田殿内の分家筋、屋良按司朝久次男の新田親雲上(冨茂昌・後の新田親方)を猶子として自分の家督を継がせた[2]。最終的には、王府の命により幸地親雲上宗冨(真南風按司の弟)が姉である真南風按司の跡目となり、新田親方がその猶子となった。

真南風按司を立ち口とした家(現仲地家)は17世紀末に系図座が設けられた際に呉姓を賜る。墓は那覇市真嘉比、位牌は仲地家(現鳥堀)に安置。

家族表

  • 祖父:呉天澤・我那覇親方宗昌(呉氏我那覇殿内四世)
  • 祖母:封氏我那覇親方助元の娘・乙益美
    • 父:呉國卿・幸地親方宗廣呉氏我那覇殿内三世)
    • 母:思乙(安谷屋女、号は梅室)
      • 兄(長男):呉郡尹・我那覇親雲上宗知(1589~1651年)(室は敖氏嶋尻中城親雲上将兼女思乙金)
      • 妹(次女):眞鶴(萬暦二十三年生まれ、解氏本部里之子親雲上宗常に嫁す)
      • 妹(三女):眞牛(萬暦二十五年〜康煕十六年)
      • 妹(四女):乙益金(萬暦二十五年生まれ、兪氏幸地東風平親雲上重昌に嫁す)
      • 弟(次男):呉明倫・幸地親雲上宗冨(継出・姉である真南風按司の跡目)
  • 猶子:幸地親雲上宗冨

参考文献

  1. ^ 呉姓家譜(我那覇家)http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/B1241188/1/vol05/htm/kafu-n18.htm
  2. ^ 士族門中家譜呉姓家譜、球陽出版

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