盧蔵用とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 盧蔵用の意味・解説 

盧蔵用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/27 14:04 UTC 版)

盧 蔵用(ろ ぞうよう、生年不詳 - 714年)は、唐代文人官僚は子潜[1][2]本貫范陽郡涿県[2]

経歴

魏州司馬の盧璥(盧承慶の弟の盧承礼の子で、盧思道の子の盧赤松の孫)の子として生まれた。若くして文章と学識で知られた。進士に及第したが、官に召されず、「芳草賦」を著して意を表した。ほどなく終南山に隠居して、辟穀・練気の術を学んだ[1][2]篆書隷書に巧みで、囲碁を好み、多能の士と称された[3][4]陳子昂や趙元(字は貞固)と友情を結んだ[3][2]

長安年間、蔵用は召し出されて左拾遺に任じられた。ときに武則天が万安山に興泰宮を造営しようとすると、蔵用は上疏してこれを諫めたが、聞き入れられなかった。神龍元年(705年)、起居舎人となり、知制誥を兼ねた。まもなく中書舎人に転じた。蔵用は俗世界に禁忌への拘りが多く、道理に反していたことから、『析滞論』を著してそれらのことを敷衍した[5][2]

景龍年間、蔵用は吏部侍郎となった。蔵用の性格は抜きんでたところがなく、権力者に迫られることが多く、公正さを損なった。さらに蔵用は黄門侍郎に任じられ、昭文館学士を兼ねた。工部侍郎・尚書右丞に転じた。先天2年(713年)、太平公主につき従って罪に問われ、新州に配流された。さらに驩州に配流された。交州で反乱が起こり、蔵用は防御に功労があって、昭州司戸参軍に起用された。開元2年(714年)、黔州都督府長史に転じ、判黔州都督事を兼ねた。韶州で死去した。享年は五十数歳[3][6]。著書に『春秋後語』10巻[7]・『注老子』2巻・『注荘子内外篇』12巻[8]・『子書要略』1巻[9]・『盧蔵用集』30巻[10]があった。

脚注

  1. ^ a b 旧唐書 1975, p. 3000.
  2. ^ a b c d e 新唐書 1975, p. 4374.
  3. ^ a b c 旧唐書 1975, p. 3004.
  4. ^ 新唐書 1975, p. 4375.
  5. ^ 旧唐書 1975, p. 3001.
  6. ^ 新唐書 1975, pp. 4374–4375.
  7. ^ 新唐書 1975, p. 1440.
  8. ^ 新唐書 1975, p. 1517.
  9. ^ 新唐書 1975, p. 1536.
  10. ^ 新唐書 1975, p. 1601.

伝記資料

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  盧蔵用のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「盧蔵用」の関連用語

盧蔵用のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



盧蔵用のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの盧蔵用 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS