登戸神社_(館林市足次町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 登戸神社_(館林市足次町)の意味・解説 

登戸神社 (館林市足次町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 02:28 UTC 版)

登戸神社
所在地 群馬県館林市足次町122-1
位置 北緯36度15分48.6秒 東経139度31分59.1秒 / 北緯36.263500度 東経139.533083度 / 36.263500; 139.533083 (登戸神社 (館林市足次町))座標: 北緯36度15分48.6秒 東経139度31分59.1秒 / 北緯36.263500度 東経139.533083度 / 36.263500; 139.533083 (登戸神社 (館林市足次町))
主祭神 ワタゴサマ
創建 安政2年(1855年)旧暦11月
地図
登戸神社
テンプレートを表示

登戸神社(のぼっとじんじゃ)は、群馬県館林市足次町字登戸(のぼっと)の神社。高さ1m程度の石祠[1]

鎮座地

鎮座地の地名の起源は、このように伝わる。寛文年間までは、このあたりを旧矢場川が流れて上野国下野国の境になっており、登戸を含む足次村は下野国であった[1]。その頃の対岸にあたる地域は、ハチガタ台地(郷谷村では八形、渡瀬村では八方表記)であったが、そこから足次に入るには、まず矢場川沿いの低地を渡り、のぼり坂を登る形となったという[1]。その登る地点をノボットと称したとされる[1]。現在の流れに矢場川を変えたのは、徳川綱吉だとされている[1]

歴史

地域の人々にはワタゴサマと呼ばれるが、これは火伏の神である愛宕様の事であるという[1]。創建年の安政2年(1855年)、町内大火があり、再び大火を起こさないために、同年11月本祠が祀られたと伝わる[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f g 川島維知 著『館林双書 第15巻 館林の社寺』館林市立図書館、1986年、236-237pp

参考文献

  • 川島維知 著『館林双書 第15巻 館林の社寺』館林市立図書館、1986年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  登戸神社_(館林市足次町)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「登戸神社_(館林市足次町)」の関連用語

1
30% |||||

登戸神社_(館林市足次町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



登戸神社_(館林市足次町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの登戸神社 (館林市足次町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS