甘露寺俊長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 05:08 UTC 版)
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時代 | 室町時代後期-戦国時代 |
生誕 | 天文7年(1538年) |
死没 | 天文17年2月21日(1548年4月9日) |
改名 | 中御門俊藤→甘露寺俊長 |
官位 | 従五位上、左衛門佐 |
氏族 | 中御門家→甘露寺家 |
父母 | 父:中御門宣忠、母:刀自 養父:甘露寺伊長 |
兄弟 | 俊長、中御門宣教 養兄弟:熙長、経元、正親町公叙室、木造氏室 |
甘露寺 俊長 (かんろじ としなが)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公家。権大納言・中御門宣忠の長男。官位は従五位上・左衛門佐。初名は俊藤(としふじ)。
経歴
権大納言・中御門宣忠の長男として生まれる[1]。当初は中御門 俊藤(なかのみかど としふじ)と名乗った[1]。のちに甘露寺伊長の養子となり、甘露寺 俊長(かんろじ としなが)と改名する[1]。
近江介、左衛門佐、従五位上に叙せられるも、天文17年(1548年)に家督を継ぐ前に11歳で死去した[1]。
俊長の後は、中山孝親の長男・甘露寺熙長が養子入りした[1]。
官歴
『系図纂要』による
系譜
『系図纂要』による
脚注
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