王皇后 (唐玄宗)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 王皇后 (唐玄宗)の意味・解説 

王皇后 (唐玄宗)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/07 13:49 UTC 版)

王皇后(おうこうごう、? - 724年)は、中国玄宗の皇后(廃后)。王仁皎の娘。本貫同州下邽。

生涯

玄宗が臨淄王となると、妃となった。先天元年(712年)、皇后に立てられた。

子がなく、玄宗の寵妃武恵妃から中傷を受ける。玄宗も王皇后の廃位を計画した。王皇后は「以前困っていた時、私の父は服を売って小麦粉を買って、陛下の誕生日ケーキを作ってあげました。今陛下は忘れましたか」と言った。玄宗は感動して廃后計画を断念した。

皇后の双子の兄弟の王守一は王皇后が子宝に恵まれなかったことを憂い、北斗を祭り、天地文と玄宗の諱を刻んで、「皇后に子が生まれ、則天武后のようになりますように」と祈った。開元12年(724年)、事が発覚して王守一は死を賜り、王皇后は廃された。3か月後、王廃后は亡くなっている。

その後、玄宗は後悔している。代宗の治世には、身位を回復された。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  王皇后 (唐玄宗)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「王皇后 (唐玄宗)」の関連用語

王皇后 (唐玄宗)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



王皇后 (唐玄宗)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの王皇后 (唐玄宗) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS