無極慧徹
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無極 慧徹(むごく えてつ、1350年 - 1430年[1])は、室町時代の曹洞宗の高僧で、肥前国出身と言われる。通幻十哲の一人で足柄最乗寺を開山した了庵慧明の法嗣である。
来歴
無極は1401年に美濃国加茂郡(現在の坂祝町)の木曽川を望む岩窟にて座禅し、その後、木曽川対岸の尾張国丹羽郡栗栖に大川山補陀寺(のちの補陀落山大泉寺)を開創した。無極が座禅した岩窟が現在の岩屋観音である[2]。
その後、無極は補陀寺に住しながら、越前龍泉寺、足柄最乗寺、丹波永澤寺などへの輪住もつとめ、1430年に81歳で没した。没した場所は補陀寺と考えられる[2]。
法嗣には尾張国楞厳寺を開いた月江正文がおり、月江やその弟子たちが関東で教線を拡大したため、関東には龍穏寺など無極を勧請開山とする有力寺院が多い。
脚注
出典
- ^ 龍谷孝道 (2010-12). “無極慧徹の語録と代語集 : 雙林寺所蔵「無極大和尚節之御参」を中心として”. 駒澤大学禅研究所年報 22: 229-261 .
- ^ a b 横山住雄『犬山大泉寺史』大泉寺、1985年。
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