瀬川和正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 01:42 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動瀬川 和正(せがわ かずまさ、1989年8月24日 - )は、大阪府堺市出身のセーリング選手。出生は鳥取県。浪速高等学校、龍谷大学卒業。鳥取県立米子産業体育館職員。妻はセーリング選手の伊勢田愛(リオデジャネイロオリンピック女子RS:X級日本代表)[1]。
来歴
小学校の頃は水泳、中学・高校時代はサッカーをしていた。大学でヨット部に入りヨット競技を始めた。大学時代は目立った結果を残せなかったものの卒業後の1年間は五輪出場を目指して、和歌山県内のマリーナを拠点に練習を重ねた[2]。
2018年にはジャカルタ・アジア大会に出場。16艇中4位となり惜しくも表彰台を逃した[3]。
鳥取県境港を拠点にレーザー級で2020年東京オリンピック出場を目指していたが、2020年の2月に代表を逃がした[4]。
瀬川は出場を諦め切れず、まだ代表が決まっていなかったフィン級に転向。レーザー級と同じ1人乗りながら世界でも重量級が競うパワー種目であるフィン級で戦うため、1年で体重を15キロ以上増やしパワーをつけた[5][1]。
2021年5月に葉山で行われた国内選考会では12レースを全て1位でフィニッシュする圧倒的な成績を収め、東京オリンピックセーリング競技(男子フィン級)の日本代表に内定した[6][5][1]。同年7-8月に江の島で行われた東京オリンピックでは、期間中最後のレースで5着となったが、総合順位は16位となり最終のメダルレースには進めなかった[7]。
脚注
- ^ a b c “15キロ増量で地獄から天国へ セーリング瀬川和正フィン級悲願の代表内定”. 日刊スポーツ. (2021年5月14日) 2021年5月30日閲覧。
- ^ “とりどり 瀬川和正さん”. 朝日新聞デジタル. (2018年12月3日) 2021年5月30日閲覧。
- ^ “【アジア大会】49er級、470級男女、ラジアル級の4種目で金メダル!”. バルクヘッドマガジン. (2018年9月1日) 2021年5月30日閲覧。
- ^ “南里研二がオリンピック代表に。レーザースタンダード世界選手権最終日”. バルクヘッドマガジン. (2020年2月16日) 2021年5月30日閲覧。
- ^ a b “瀬川和正が五輪切符!1日5食に増やし体重増「パフォーマンスを上げるのが大変だった」【セーリング】”. 中日スポーツ. (2021年5月14日) 2021年5月30日閲覧。
- ^ “風に恵まれ全12レース完了。フィン級東京五輪代表選考最終日”. バルクヘッドマガジン. (2021年5月14日) 2021年5月30日閲覧。
- ^ “瀬川和正、最後に最高の5着「今できることは精いっぱいやった」/セーリング”. サンケイスポーツ 2021年8月1日閲覧。
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