浜田義明とは? わかりやすく解説

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浜田義明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 13:39 UTC 版)

浜田 義明(はまだ よしあき[1]、1902年(明治35年)11月19日[2] - 1987年(昭和62年)[1])は、昭和期の日本の体育教育者・スポーツ指導者。東京高等師範学校在学中[3]の1928年、アムステルダムオリンピックの男子漕艇の日本代表選手の一人となった。

生涯

高知県出身[4]。1924年(大正13年)、高知師範学校高知大学教育学部の前身)卒業[2]。1925年(大正14年)、東京高等師範学校体育科に入学[2]。1928年(昭和3年)、アムステルダムオリンピックの男子漕艇の日本代表選手の一人となった[2]。同種目において日本チームは敗者復活戦で敗退した。

1929年(昭和4年)、東京高等師範学校を卒業し、愛媛県師範学校愛媛大学教育学部の前身)教諭となる[2]。1930年(昭和5年)、高岡高等商業学校(富山大学経済学部の前身)助教授[5]。同校には1932年(昭和7年)まで務め、体育を教えた[6]。その後、文部事務官を17年間務め[7]、第二次世界大戦後の1949年、東京都教育庁の社会教育課長となり1951年まで務めた[7][8]あと都立神代高校校長に就任[7][9]。1965年には中京女子大学教授、体育学部学部長を務めている[10][11]

1983年(昭和58年)、高知県立春野総合運動公園体育館において「高知県スポーツの殿堂」の顕彰が始まった際、浜田は「教育現場で指導者の育成」およびオリンピック出場を功績として、第1回殿堂入り対象者22人のうちの1人に選ばれた[4]

編著書

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c 浜田, 義明, 1902-1987”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス. 国立国会図書館. 2024年6月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e 「浜田義明ヲ高岡高等商業学校助教授ニ任用シ…」, 3/4コマ.
  3. ^ 中澤篤史 2010, p. 41.
  4. ^ a b 高知県スポーツの殿堂”. 高知県. 2024年6月23日閲覧。
  5. ^ 「浜田義明ヲ高岡高等商業学校助教授ニ任用シ…」, 1/4コマ.
  6. ^ 高岡高等商業学校教官”. 富山大学. 2024年6月23日閲覧。
  7. ^ a b c 体育人プロフィール 都立神代高校校長 浜田義明」『学校体育』第4巻第8号、日本体育社、1951年9月、19頁。 
  8. ^ 森川貞夫 2000, p. 39.
  9. ^ 保健学習について(1)」『新体育』第24巻第4号、1954年4月。 
  10. ^ 東京オリンピックバレーボール男子選手の強化策」『中京女子大学紀要』第1巻、中京女子大学、1965年12月、1-14頁。 
  11. ^ “執筆者紹介”. 中京女子大学紀要 (中京女子大学) 1: 115. https://dl.ndl.go.jp/pid/1793368/1/60. 

参考文献

関連項目




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