浄信寺 (久喜市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 浄信寺 (久喜市)の意味・解説 

浄信寺 (久喜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 00:07 UTC 版)

浄信寺
所在地 埼玉県久喜市栗橋東3-8-15
位置 北緯36度08分10.6秒 東経139度42分14.5秒 / 北緯36.136278度 東経139.704028度 / 36.136278; 139.704028座標: 北緯36度08分10.6秒 東経139度42分14.5秒 / 北緯36.136278度 東経139.704028度 / 36.136278; 139.704028
山号 無量山
院号 帰命院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀三尊
創建年 元和3年(1617年
開山 乗誉玄徹
テンプレートを表示

浄信寺(じょうしんじ)は、埼玉県久喜市にある浄土宗寺院

歴史

1617年元和3年)、乗誉玄徹によって開山された。玄徹は現在の宮城県仙台市青葉区にある昌繁寺の住職であったが、幕府の所在地となった江戸に寺を創建すべく、江戸に向かっていたが、途中の栗橋宿で縁あって当地に留まり、「帰命院」と称する庵を設けた。その後、現在の鴻巣市にある勝願寺の日誉源貞が整備拡充し、「浄信寺」として寺院化した[1]

境内には、梅澤太郎右衛門の墓がある。第2代将軍徳川秀忠日光社参の際に、利根川の増水で秀忠が通る舟橋の危険性が高まった。太郎右衛門らは体を張って水中に入り、舟橋の安全を確保した。渡河後、秀忠はこれを賞し、苗字帯刀の特権を与え、栗橋宿の世話役に任じた[1]

文化財

  • 梅澤太郎右衛門の墓(久喜市指定文化財 昭和56年6月12日指定)[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年、192-193p
  2. ^ 梅澤太郎右衛門の墓久喜市

参考文献

  • 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  浄信寺 (久喜市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浄信寺 (久喜市)」の関連用語

1
100% |||||

浄信寺 (久喜市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浄信寺 (久喜市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浄信寺 (久喜市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS