洪ソウとは? わかりやすく解説

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洪ソウ

(洪欉 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/04 11:53 UTC 版)

本来の表記は「洪欉」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

洪 欉(こう そう、Hong Cong、? - 1864年)は、清朝統治時代の台湾での反乱である戴潮春の乱の指導者の一人。

彰化県北投堡(現在の南投県草屯鎮)出身。富農出身で団練を組織して地元で勢力を伸ばしていた。1862年、彰化の富農の戴潮春が八卦会を率いて蜂起し、彰化・斗六を陥落させると、洪欉も草屯から呼応して、戴潮春から「北王総制大元帥」に封じられた。

1863年11月、丁曰建率いる軍が彰化を奪回した後も、洪欉は大肚郷などを占拠し続け、草屯の北勢湳地区で清軍に勝利した。戴潮春が捕えられ処刑された後の1864年3月に大肚郷で再起した。しかし9月に丁曰建に包囲され、11月に北勢湳で陣没した。

洪欉の死後は弟の洪璠が北勢湳で抵抗を続けたが、清軍に包囲されて12月に捕えられ殺害された。




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