泰定帝の時代
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1323年、「南坡の変」にてゲゲーン・カーンが暗殺され、イェスン・テムル・カーン(泰定帝)が即位して後もチェチェクトゥはモンゴリアにおいて重用され続けた。翌泰定元年(1324年)には父の地位を受け継ぎ、モンケ・ウルス当主の座に就いた。チェチェクトゥはカラコルム一帯にウルスを構え、 これ以後、チェチェクトゥは屡々イェスン・テムル・カーン政権から下賜を受けている。イェスン・テムルの短い治世から見るとその数は多く、チェチェクトゥがイェスン・テムルより重用されていたことが窺える。泰定3年(1326年)にはイェスン・テムル・カーンの甥で側近の梁王オンシャンとともにモンゴリアを鎮撫することを命じられている。
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