泉二勝磨とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 泉二勝磨の意味・解説 

泉二勝磨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/01 09:43 UTC 版)

泉二 勝磨(もとじ かつま、1905年-1944年10月3日)は、昭和初期に活動した日本の彫刻家

経歴

後に大審院院長となる泉二新熊の子として東京市に生まれる。東京美術学校を卒業後、1931年(昭和6年)にフランスにわたり、ジャン・デュナンに師事。1939年(昭和14年)に帰国後、二科展彫塑を10点出品した[1]

続く1940年(昭和15年)の二科展に「朔雲童児」出品、さらに翌1941年(昭和16年)に「東郷大将バルチック艦隊を睨む」を出品して二科会員に推された。その後、多摩帝国美術学校にて講師を務め、1944年10月3日に死去[2]多磨霊園に墓所が存在する。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 白衣の勇士も新入選『中外商業新報』(昭和14年8月31日),『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p565 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  2. ^ 「泉二勝磨」『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(95頁)”. 東京文化財研究所 (2021年). 2022年7月26日閲覧。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  泉二勝磨のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「泉二勝磨」の関連用語

泉二勝磨のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



泉二勝磨のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの泉二勝磨 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS